解説
中世のヨーロッパで、王や貴族にまで大きな影響を与えていたのがローマ教皇です。その教皇がよびかけた十字軍は、約200年かけて最後は失敗に終わりました。ところが失敗のあと、ヨーロッパには西アジアを通って伝わった学問や産物が残り、やがてイタリアで新しい文化が生まれます。
舞台はヨーロッパと西アジア ヨーロッパの中世とは
今回は日本を離れて、ヨーロッパと西アジアの話です。ヨーロッパの歴史で中世というと、だいたい5世紀から15世紀ごろを指します。日本の中世(鎌倉・室町時代)とは範囲がずれるので、この単元の話は「日本で言うと平安時代の終わりから鎌倉・室町時代のころ」と考えておくとわかりやすいでしょう。
古代には、地中海のまわりにローマ帝国という大きな国がありました。ローマ帝国はやがて東と西に分かれ、西側はなくなってしまいます。東側はその後も長く続き、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)とよばれました。
では、ローマ帝国が消えた西ヨーロッパ(今のフランス・ドイツ・イギリス・イタリアなど)で、人々をまとめる中心になったのは何か。キリスト教の教会でした。
1西ヨーロッパの中心 ローマ教皇とカトリック教会
教会の頂点に立っていたのがローマ教皇です。教会で神に仕える人を聖職者といい、ローマ教皇はその中でいちばん位の高い聖職者でした。いたのはローマ、今のイタリアの首都です。
この教皇を頂点とする、西ヨーロッパのキリスト教の教会をカトリック教会といいます。
教皇は、宗教のトップというだけではありませんでした。国を治める王や貴族にも、口を出せるほどの力があったのです。ローマ教皇とカトリック教会は、セットで覚えておきましょう。
2西アジアに広がる イスラム帝国とイスラム文化
同じころ、西アジアにはもうひとつの大きな世界がありました。
イスラム教は、7世紀の初めに、ムハンマドがアラビア半島のメッカ(今のサウジアラビア)で開いた宗教です。唯一の神の教えを説き、聖典はコーランでした。なお、ここで「イスラム」と書いている言葉は、教科書によっては「イスラーム」と書かれています。
ムハンマドが亡くなったあと、イスラム教徒の国は征服や交易を通じて一気に広がります。西アジアを中心に北アフリカへ、さらにイベリア半島(今のスペイン・ポルトガル)まで。こうしてできた大きな帝国がイスラム帝国です。8世紀には、今のイラクにあたる場所に都が置かれました。
学問の面では、当時はヨーロッパよりもイスラム世界のほうが進んでいました。古代ギリシャの学問を翻訳して受けつぎ、数学・天文学・医学・化学などが発達したのです。これをイスラム文化といいます。わたしたちがふだん使っている1、2、3の数字も、インドで生まれ、イスラム世界を通ってヨーロッパに伝わったものです。
もうひとつ覚えておきたいのがイスラム商人です。アジアとヨーロッパのあいだで、香辛料(コショウなどのスパイス)をはじめとする産物を運んで商売をした、イスラム教徒の商人のことをいいます。香辛料は、次の単元の大航海時代でもう一度出てきます。
3聖地エルサレムと教皇のよびかけ 十字軍のきっかけ
地中海の東の岸、パレスチナ地方に聖地エルサレムという町があります。キリスト教にとっても、イスラム教にとっても、ユダヤ教にとっても大切な聖地です。この町は7世紀から、イスラム勢力が支配していました。
11世紀の後半になると、トルコ系の新しいイスラム勢力が力をのばし、エルサレムを支配します。同じころ、ビザンツ帝国も今のトルコのあたりで攻められていました。
追いつめられたビザンツ帝国は、ローマ教皇に助けを求めます。そこで教皇は、聖地エルサレムを取り戻そうと、西ヨーロッパのキリスト教徒によびかけました。
表向きの目的は、聖地を取り戻すことです。ほかにも教皇の力を広げたいというねらいがあり、のちには東の国々との貿易でもうけたいという思いなど、いろいろな動機がからんでいきました。テストで目的を聞かれたら、「聖地エルサレムを取り戻すため」と答えれば大丈夫です。
4約200年くり返された遠征 十字軍(1096年)
こうして始まったのが1096年の十字軍の遠征です。十字軍とは、教皇のよびかけにこたえ、聖地エルサレムを取り戻すために西ヨーロッパから送られた遠征軍のことです。騎士たちは、今のフランスのあたりからエルサレムをめざしました。
1001年から1100年までが11世紀なので、1096年は11世紀の終わりです。日本では、院政が始まって間もないころにあたります。年号で聞かれても世紀で聞かれても答えられるようにしておきましょう。
十字軍は、1回きりの戦いではありません。約200年のあいだに、何度も遠征がくり返されました。
最初の遠征で、十字軍はエルサレムを取り、自分たちの国まで建てています。しかしその後、エルサレムはイスラム側に取り返されてしまいました。遠征はそのあとも続いたものの、聖地を取り戻すことはできず、十字軍は最後は失敗に終わります。どちらか一方が悪者という話ではなく、両方の側にたくさんの犠牲が出た戦いでした。
5十字軍が残したもの 教皇の権威とイスラム文化の伝播
十字軍の結果は大きく2つあります。テストでいちばんよく聞かれるのもここです。
1つ目は、ローマ教皇の権威がおとろえたことです。権威とは、人を従わせる力や信頼のことをいいます。じつは、十字軍をよびかけたころの教皇の力は、むしろ高まっていました。ところが十字軍が失敗に終わると、教皇の権威はだんだんおとろえていきます。高まってから、おとろえる。この順番を逆にしないようにしましょう。
2つ目は、イスラム文化の伝播です。伝播とは、伝わって広がっていくことです。十字軍や地中海の交易を通じて、東の国々との行き来がさかんになりました。その結果、香辛料や絹織物のような産物と、医学や数学などの進んだ学問がヨーロッパにもたらされます。戦いだけでなく、商人の行き来によっても伝わったわけです。東との貿易で、イタリアの港町も栄えていきました。
方位を知る道具の羅針盤も、もとは中国で生まれ、イスラム世界などを通じてヨーロッパに伝わりました。それがヨーロッパで改良され、次の単元の大航海時代で活躍することになります。
6古代の文化を手本に ルネサンス(14世紀)とレオナルド=ダ=ビンチ
こうした流れの中、14世紀に、フィレンツェ(今のイタリア中部)などイタリアの都市から新しい文化の動きがおこりました。これがルネサンスです。言葉の意味は「再生」で、日本語では文芸復興ともいいます。
何を再生したのかというと、古代ギリシャやローマの文化です。中世のヨーロッパでは、教会の教えが人々の考え方の中心にありました。そこから、古代の文化を手本にして、人間らしさを大切にしようとする動きが生まれたのです。
イタリアから始まったのには、十字軍や地中海の交易でイタリアの都市が豊かになっていたことも関係しています。ルネサンスはその後、16世紀ごろまでかけてヨーロッパ各地に広がりました。
代表的な人物がレオナルド=ダ=ビンチです。「モナ・リザ」を描いた芸術家で、絵だけでなく、人の体のしくみや土木、機械のことまで研究していました。テストでは「モナ・リザを描いた人物はだれか」という形でよく出ます。作品と名前はセットで問われます。
ほかに、大理石の大きな彫刻「ダビデ像」をつくったミケランジェロや、当時のイタリアの話し言葉で長い詩『神曲』を書いたダンテもいます。この2人は、名前と作品をいっしょに見ておく程度でかまいません。
まとめ 3つのポイントで流れをふり返る
この単元は「2つの世界」「十字軍」「ルネサンス」の3つに分けると整理しやすくなります。
ポイント | 何が起きたか | 年・世紀 |
|---|---|---|
2つの世界 | 西ヨーロッパではローマ教皇とカトリック教会が力をもち、西アジアではイスラム帝国が広がってイスラム文化が栄えた | ― |
十字軍 | 教皇のよびかけで聖地エルサレムをめざしたが、約200年のくり返しの末に失敗した。教皇の権威はおとろえ、イスラム文化が伝わった | 1096年に始まる |
ルネサンス | イタリアの都市から、古代ギリシャ・ローマの文化を手本に人間らしさを大切にする文化がおこった | 14世紀 |
流れを一本の線でつなぐと、こうなります。
ローマ教皇とカトリック教会が力をもつ西ヨーロッパと、イスラム文化が栄えるイスラム帝国 → 1096年、教皇のよびかけで十字軍の遠征が始まる → 約200年くり返したが、最後は失敗 → 教皇の権威がおとろえ、十字軍や地中海の交易を通じてイスラム文化が伝わる → 14世紀、イタリアの都市でルネサンスが始まる
十字軍の失敗で教皇の力が弱まり、イスラム世界から伝わった学問や文化を受けて、イタリアでルネサンスが始まりました。このあと16世紀に入ると、教会のあり方そのものを改めようとする宗教改革がおこります。
年表
年・世紀 | 出来事 | ポイント |
|---|---|---|
7世紀の初め | ムハンマドがイスラム教を開く | 2つの世界 |
1096年 | 十字軍の遠征が始まる | 十字軍 |
14世紀 | イタリアの都市でルネサンスが始まる | ルネサンス |
7世紀と14世紀の行は、年ではなく世紀で覚えるものです。
用語のまとめ
用語 | 種類 | 意味 |
|---|---|---|
ローマ教皇 | 地位(人) | カトリック教会でいちばん位の高い聖職者。十字軍をよびかけた |
カトリック教会 | 組織 | ローマ教皇を頂点とする、西ヨーロッパのキリスト教の教会 |
ビザンツ帝国 | 国 | ローマ帝国の東側を受けついだ国。東ローマ帝国ともいう。教皇に助けを求めた |
イスラム帝国 | 国 | ムハンマドの死後、イスラム教徒が西アジアを中心に建てた大きな帝国 |
イスラム文化 | 文化 | 古代ギリシャの学問を受けつぎ、数学・天文学・医学などが発達したイスラム世界の文化 |
イスラム商人 | 人々 | アジアとヨーロッパのあいだで香辛料などを運んだイスラム教徒の商人 |
聖地エルサレム | 町 | 地中海の東の岸、パレスチナ地方の町。キリスト教・イスラム教・ユダヤ教の聖地 |
十字軍 | 遠征軍 | 聖地エルサレムを取り戻すため、教皇のよびかけで西ヨーロッパから送られた遠征軍。1096年から約200年 |
教皇の権威 | 力 | 教皇が人を従わせる力や信頼。十字軍の失敗でおとろえた |
イスラム文化の伝播 | できごと | 十字軍や地中海の交易を通じて、イスラム世界の学問や東方の産物がヨーロッパに伝わったこと |
ルネサンス | 文化の動き | 14世紀にイタリアの都市で始まった、古代ギリシャ・ローマの文化を手本に人間らしさを大切にする文化の動き |
レオナルド=ダ=ビンチ | 人物 | 「モナ・リザ」を描いたルネサンスの芸術家。人の体のしくみや機械も研究した |
よくある間違い
十字軍は、1回の戦いの名前ではありません。 教皇のよびかけで送られた遠征軍のことで、約200年のあいだに何度も遠征しています。何回あったかは数え方によって違うので、回数は覚えなくてかまいません。
十字軍は、最初からうまくいかなかったわけではありません。 最初の遠征ではエルサレムを取っています。「一時はエルサレムを取ったが、のちに取り返され、最後は失敗に終わった」と書けると正確です。
教皇の権威は、十字軍をよびかけた時点でおとろえたのではありません。 よびかけたころはむしろ高まり、十字軍が失敗に終わってから、だんだんおとろえていきました。
十字軍が始まる前のエルサレムは、イスラム勢力が支配する町でした。 ビザンツ帝国がイスラム勢力に攻められていたのは、今のトルコのあたりです。エルサレムとビザンツ帝国を、同じ場所の話としてまとめないようにしましょう。
イスラム文化が伝わった道は、十字軍だけではありません。 地中海の交易、つまり商人の行き来でも伝わっています。答えるときは「十字軍や地中海の交易を通じて」とするのが安全です。
1、2、3の数字や羅針盤は、生まれた場所がひっかけになります。 数字はインド、羅針盤は中国で生まれ、イスラム世界を通ってヨーロッパに伝わりました。羅針盤はそのあとヨーロッパで改良されています。
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重要語句 ローマ教皇、十字軍、イスラム帝国、ルネサンス、レオナルド=ダ=ビンチ