解説
日本が戦国時代に入っていくころ、ヨーロッパでは2つの大きな動きが同時に進んでいました。キリスト教の教会が2つに分かれたことと、ポルトガルやスペインの船が世界の海へ出ていったことです。一見別々の話に見えるこの2つは、「キリスト教を広めたい」という思いのところでつながっています。
宗教改革の前のヨーロッパ
ヨーロッパでは、カトリック教会のいちばん上に立つローマ教皇が、長いあいだ大きな力をもっていました。ところが十字軍が聖地を取り返せないまま終わると、教皇や教会の権威、つまりみんなを従わせる力は、だんだんおとろえていきます。
イスラム世界との交流で学問や文化が伝わり、前回見たルネサンスが起こったのも、ちょうどこのころです。日本でいえば、応仁の乱のあと、室町時代の終わりから戦国時代にかけての時期にあたります。
1教会が2つに分かれる ルターの宗教改革(1517年)
16世紀のはじめ、ローマ教皇はローマの大聖堂を建て直そうとしていて、その費用を集めるために免罪符を売り出しました。これを買えば罪のつぐない(罰)が免除される、とされた札です。免罪符は今のドイツでも売られていました。
これに疑問をもったのが、ドイツの大学で聖書を教えていたルターです。ルターの考えでは、人は信仰、つまり神を信じる心によって救われるもので、お金で買えるものではありませんでした。1517年、ルターは免罪符を批判する意見を95か条にまとめて発表します。その文章はすぐにドイツ語に訳されて広まりました。
ルターは、信仰のよりどころは聖書だけだと説きました。ここから始まった動きを宗教改革といいます。始まりの年は1517年です。考えを取り消さなかったルターは教会から追放されましたが、ドイツの有力者にかくまわれて聖書をドイツ語に訳しました。ふつうの人も自分たちの言葉で聖書を読めるようになり、ルターの考えはさらに広まっていきます。
改革の動きはドイツの外にも広がりました。今のスイスでは、フランス出身のカルバンが聖書にもとづく改革を進めました。ルターやカルバンの考えを支持した人々は、プロテスタントと呼ばれるようになりました。ルターを支持するドイツの有力者たちがドイツを治めていた皇帝に抗議の文書を出したことから、「抗議する者」という意味のこの名前がついたのです。
こうしてキリスト教は、それまでのカトリック(旧教)と、新しいプロテスタント(新教)に分かれました。
カトリックの側でも、教会を立て直そうとする動きが起こります。その中心のひとつになったのがイエズス会です。ザビエルたちがつくったこの団体は、教育と、海外での布教(宗教を広めること)に力を入れ、宣教師をアジアやアメリカ大陸へ送り出しました。ザビエル自身もインドのゴアに渡って、アジアで布教を始めています。このザビエルが、のちに日本へやってきます。
23人の航海 コロンブス・バスコ=ダ=ガマ・マゼランの船隊(1492年・1498年・1522年)
そもそも、ヨーロッパの人たちはなぜ危険な海へ出ていったのでしょうか。理由は大きく2つあります。
1つ目は香辛料です。コショウなどの香辛料は、肉料理などの味つけに欠かせないアジアの産物でした。それがイスラム教を信じるイスラム商人(ムスリム商人)やイタリアの商人などの手を通ってヨーロッパに入ってくるので、届くころにはとても高価になっていました。それなら間を通さず、アジアと直接取り引きしたいと考えたわけです。2つ目は、キリスト教を広めたいという理由でした。さっきのイエズス会の動きとも重なります。
方位を知る羅針盤が使われるようになったことや、地球は丸いという考えも、遠くへの航海を後押ししました。先頭に立ったのは、地図で見るとヨーロッパの南西の端にあるポルトガルとスペインです。こうしてヨーロッパの国々が世界の海に乗り出していった時代を、大航海時代といいます。そのなかで新しい航路を開いていったことは、新航路の開拓と呼ばれます。
1人目はコロンブスです。イタリア生まれですが、スペインの援助を受けて航海に出ました。地球が丸いなら、西へ進んでもアジアに着くはずだと考えたのです。1492年、コロンブスは大西洋を横断し、アメリカ大陸の近くの西インド諸島に着きました。本人は最後までインドの一部に着いたと思っていて、のちにこの島々が西インド諸島と呼ばれるようになりました。アメリカ大陸には、もとからそこに住む先住民がいたことも忘れないでください。
2人目は、ポルトガルのバスコ=ダ=ガマです。アフリカの西側を南へ下り、南の端にある喜望峰という岬を回って、1498年にインドに着きました。香辛料も持ち帰りました。ヨーロッパとアジアが海の道で結ばれたこの航路を、インド航路といいます。
3人目はマゼランです。ポルトガル出身で、コロンブスと同じくスペインの援助を受け、西回りでアジアをめざしました。船隊は南アメリカの南の端を回って太平洋を横断します。ところがマゼラン本人は、途中のフィリピンで現地の人々との戦いになり、亡くなってしまいました。残った船隊が航海を続け、最後に残った1隻が1522年にスペインへ帰りつきます。これが初めての世界一周で、地球が丸いことも実際の航海で確かめられました。
3人の航海を、年の順に並べておきます。
年 | 人物 | 生まれ・出身 | 援助した国 | 着いたところ |
|---|---|---|---|---|
1492年 | コロンブス | イタリア生まれ | スペイン | 西インド諸島 |
1498年 | バスコ=ダ=ガマ | ポルトガル | ポルトガル | インド(喜望峰を回る) |
1522年 | マゼランの船隊 | マゼランはポルトガル出身 | スペイン | 世界一周(マゼランは途中で亡くなる) |
テストでよく聞かれるのは、どの国の援助かです。1492年のコロンブスはスペイン、1498年のバスコ=ダ=ガマはポルトガル、1522年に世界一周したマゼランの船隊はスペイン。生まれた国と取りちがえないよう、援助した国で覚えてください。
3ヨーロッパの国々が世界へ アジアの貿易とアメリカ大陸の植民地
航路が開かれたあと、2つの国は別々の方向へ進出していきます。
ポルトガルが向かったのはアジアです。インドのゴアや中国のマカオなどを拠点にして、香辛料などの貿易を行いました。ゴアは布教の拠点にもなっています。
スペインが進出したのはアメリカ大陸でした。そこには、すぐれた文明をもつ国がありました。今のメキシコにあったアステカ王国は、石の神殿をつくり、暦をもっていました。今のペルーなどに栄えたインカ帝国は、アンデス山脈で石を組んだ建物や、各地を結ぶ道路をもっていました。この2つの国は、どちらもスペイン人に攻められてほろぼされます。スペインはそのままアメリカ大陸を植民地にしていきました。植民地とは、ほかの国に支配された土地のことです。
世界が海で結ばれた裏では、つらいことも起きています。スペイン人が来たあと、アメリカ大陸の先住民の人口は大きく減りました。ヨーロッパから持ちこまれた伝染病と、鉱山などでの重い労働がその原因です。戦いよりも伝染病のほうが主な原因だったと考えられています。働き手が足りなくなると、代わりにアフリカの人々が奴隷として連れてこられました。
まとめ 3つのポイントで流れをふり返る
宗教改革と大航海時代を、3つのポイントに分けて並べると下の表になります。
ポイント | 何が起きたか | 年 |
|---|---|---|
宗教改革 | ルターが免罪符を批判し、キリスト教がカトリックとプロテスタントに分かれた。カトリックの側ではイエズス会が海外での布教に力を入れた | 1517年 |
3人の航海 | 香辛料とキリスト教の布教を求めて、ポルトガルとスペインが新しい航路を開いた | 1492年・1498年・1522年 |
世界への進出 | ポルトガルはアジアで貿易を行い、スペインはアメリカ大陸のアステカ王国・インカ帝国をほろぼして植民地にした | ― |
話の順番は宗教改革が先でしたが、年で見ると、コロンブスとバスコ=ダ=ガマの航海のほうが宗教改革より前です。年の順に一本の線でつなぐと、こうなります。
1492年 コロンブスが西インド諸島へ → 1498年 バスコ=ダ=ガマがインドへ → 1517年 ルターの宗教改革 → 1522年 マゼランの船隊が世界一周 → ポルトガルはアジアへ、スペインはアメリカ大陸へ → その船と宣教師が日本へ(次の単元)
香辛料を直接手に入れたい、キリスト教を広めたい。この2つの思いに動かされて、ヨーロッパの国々は世界中へ出ていきました。その動きは、やがて日本にも届きます。
年表
年 | 出来事 | ポイント |
|---|---|---|
1492年 | コロンブスが西インド諸島に着く(スペインの援助) | 3人の航海 |
1498年 | バスコ=ダ=ガマが喜望峰を回ってインドに着く(ポルトガル) | 3人の航海 |
1517年 | ルターが免罪符を批判し、宗教改革が始まる | 宗教改革 |
1522年 | マゼランの船隊がスペインに帰り、初めての世界一周を成しとげる | 3人の航海 |
用語のまとめ
用語 | 種類 | 意味 |
|---|---|---|
宗教改革 | 動き | 1517年、ルターが免罪符を批判して始まった、キリスト教の改革の動き |
ルター | 人物 | ドイツの大学で聖書を教えていた人。信仰のよりどころは聖書だけだと説いた |
免罪符 | 札 | ローマ教皇が大聖堂を建て直す費用を集めるために売り出した、罪のつぐないが免除されるとされた札 |
カルバン | 人物 | フランス出身で、スイスで聖書にもとづく改革を進めた人 |
プロテスタント(新教) | 人々 | ルターやカルバンの考えを支持した人々。「抗議する者」という意味 |
カトリック(旧教) | 教会 | ローマ教皇を中心とする、それまでのキリスト教の教会 |
イエズス会 | 団体 | カトリックの側でつくられた団体。教育と海外での布教に力を入れた |
大航海時代 | 時代 | ヨーロッパの国々が新しい航路を開き、世界の海に乗り出していった時代 |
新航路の開拓 | 出来事 | ヨーロッパからアジアやアメリカ大陸への新しい海の道を開いたこと |
香辛料 | 産物 | コショウなど、肉料理などの味つけに欠かせないアジアの産物。ヨーロッパではとても高価だった |
イスラム商人 | 人々 | イスラム教を信じる商人。インド洋の貿易の中心にいた。ムスリム商人ともいう |
コロンブス | 人物 | イタリア生まれ。スペインの援助で、1492年に西インド諸島に着いた |
バスコ=ダ=ガマ | 人物 | ポルトガルの人。喜望峰を回って、1498年にインドに着いた |
マゼラン | 人物 | ポルトガル出身。スペインの援助で西回りに出発。本人は途中で亡くなり、船隊が1522年に世界一周を成しとげた |
アステカ王国 | 国 | 今のメキシコに栄えた国。スペイン人にほろぼされた |
インカ帝国 | 国 | 今のペルーなどに栄えた国。スペイン人にほろぼされた |
植民地 | 土地 | ほかの国に支配された土地 |
先住民 | 人々 | もとからその土地に住んでいた人々 |
よくある間違い
援助した国は、生まれた国と同じとはかぎりません。 コロンブスはイタリア生まれ、マゼランはポルトガル出身ですが、2人ともスペインの援助で航海しました。テストで問われるのは援助した国のほうです。
世界一周を成しとげたのは「マゼランの船隊」です。 マゼラン本人は途中のフィリピンで亡くなっています。答えるときは「船隊」まで書きましょう。
年の順番は、航海のほうが先です。 1492年のコロンブスと1498年のバスコ=ダ=ガマは、1517年の宗教改革より前の出来事です。年表の並べかえ問題で迷ったら、年の数字で確かめてください。
「大航海時代」は時代の名前で、「新航路の開拓」はその時代に起きた出来事です。 同じものの別名ではありません。「〜の時代」と聞かれたら大航海時代、「何をしたか」と聞かれたら新航路の開拓と答えます。
旧教と新教を逆にしない。 カトリックが旧教、プロテスタントが新教です。ルターはドイツ、カルバンはスイスと、国の組み合わせもあわせて覚えておきましょう。
海に出た理由は1つではありません。 「香辛料をアジアから直接手に入れたい」と「キリスト教を広めたい」の2つを書けるようにしておきましょう。
先住民がどれだけ減ったかの数は、推定で、はっきりしていません。 「伝染病や重い労働で大きく減った」と書ければ十分です。
プリントと動画で確認しよう
このテーマの単語テストと問題集は、下のボタンからダウンロードできます。答えと解説つきです。
流れをもう一度確認したいときはアニメーション編、くわしい理由まで知りたいときは詳細解説編の動画をどうぞ。
重要語句 ルター、プロテスタント、コロンブス、マゼラン、インカ帝国