解説
日本が江戸時代の後半にあったころ、アジアでは大きな変化が起きていました。産業革命で力をつけたイギリスなどの欧米の国々が、武力を使ってアジアに進出し、次々に植民地にしていったのです。きっかけのひとつは、イギリスの人々が毎日飲んでいた紅茶でした。
欧米の国々がアジアに向かった理由
前の単元で見た産業革命によって、イギリスは工場の機械で製品を大量につくれるようになり、「世界の工場」と呼ばれるようになりました。たくさんつくれば、それを売る場所、つまり市場がもっと必要になります。工業の材料になる原料も、もっとほしくなりました。
そこでイギリスなどの欧米の国々は、市場と原料を求めてアジアへ向かいます。強い軍艦や大砲をもつ武力を使ってアジアに進出し、その土地を植民地にしていきました。植民地とは、ほかの国に支配された土地のことです。
大航海時代には、スペインがアメリカ大陸を植民地にしていました。19世紀に入ると、同じことがアジアで広がっていきます。日本では、天保の改革が始まる少し前のころの話です。
1イギリスと清の貿易 三角貿易とアヘンの密輸
このころの中国は、清(しん)という王朝が治めていました。清はヨーロッパとの貿易を、南の港町の広州(今の中国)にほぼ限っていました。
イギリスでは紅茶を飲む習慣が広がり、清から茶を大量に買っていました。ところが、イギリスの製品は清ではなかなか売れません。茶を買うばかりで売るものがないので、代金の銀がどんどん清へ流れ出ていきました。
この銀を取り戻すために、19世紀のはじめごろからイギリスが行ったのが三角貿易です。品物の流れは次の3本です。
- イギリスの工場でつくった綿織物を、イギリスからインドへ
- インドでつくらせたアヘンを、インドから清へ
- 清の茶を、清からイギリスへ
インドでアヘンをつくらせていたのは、インドの支配を進めていたイギリスの東インド会社です。
アヘンは、体をこわし、やめられなくなってしまう麻薬です。清ではアヘンの輸入が禁止されていたので、商人たちはこっそり清に持ちこんで売りました。禁止された品物をこっそり持ちこんで売ることを密輸といいます。
三角貿易は、3つの国と品物の向きを図に書かせる問題でよく出ます。茶とアヘンの向きを逆にしやすいので、矢印の向きまで確かめておくと安心です。
2アヘン戦争(1840年)と、その後の清
アヘンが入ってくると、清では困ったことが2つ起きました。1つは、アヘンを吸う人が増え、体をこわす人が出て社会がみだれたことです。もう1つは、アヘンの代金として、今度は銀が清から外国へ流れ出ていったことでした。銀が足りなくなると銀の値段が上がり、銀で税を納めていた農民は、実際には重い税を払うのと同じことになりました。
そこで清の皇帝は、林則徐(りんそくじょ)を広州に送ります。皇帝の命令でアヘンの取りしまりをまかされた役人です。林則徐は、イギリスの商人などからアヘンを取り上げ、海岸で焼いて処分しました。
この取りしまりをきっかけに、イギリスは軍艦と軍隊を送ってきます。1840年、アヘン戦争の始まりです。勝ったのはイギリスでした。産業革命の工業の力で、清よりも強い軍艦や大砲をもっていたからです。アヘンを取りしまろうとした清の方が、工業と武器の力の差で負けてしまいました。
戦争に負けた清は、1842年にイギリスと南京条約を結びます。中身は次の3つです。
- 香港をイギリスにゆずる
- 上海など5つの港を開く
- 多額の賠償金を払う
賠償金は、戦争に負けた側が相手に払うお金のことです。香港は、今は中国に返されています。南京条約は清にとってとても不利な条約で、不平等条約と呼ばれます。この言葉は、このあと日本の開国の話でもう一度出てきます。この条約のあと、ほかの欧米の国々も次々に清へ進出していきました。
清の中も、落ち着いてはいられませんでした。戦争の費用や賠償金のために、民衆の負担が重くなったのです。1851年、洪秀全(こうしゅうぜん)を中心とする人々が兵をあげ、太平天国という国を建てました。洪秀全は、キリスト教の影響を受けた宗教団体をつくっていた人物です。
太平天国は清をたおして、土地を平等に分けることなどを目指しました。一時は南京を占領して都にするほどの勢いでしたが、最後は清の軍と、イギリスやフランスなど外国が協力した軍に敗れてほろびました。太平天国は反乱の名前ではなく、洪秀全たちが建てた国の名前です。この反乱全体は「太平天国の乱」とも呼ばれます。
3インドと東南アジア インド大反乱、ムガル帝国の滅亡、東南アジアの植民地化
インドは、今のインドやパキスタン、バングラデシュのあたりです。イギリスは東インド会社を通じて、戦争でインドの各地を支配下に入れていきました。
産業革命のあと、イギリスの機械でつくった安い綿織物が、インドに大量に入ってきます。インドで昔から手作業で綿織物をつくっていた人々の仕事は、大打撃を受けました。三角貿易でイギリスからインドへ綿織物が送られていたのは、この流れの一部です。
1857年、インド大反乱が起こります。始まりは、東インド会社に雇われていたインド人の兵士たちの反乱でした。きっかけの一つは、宗教で禁じられた動物の脂が新しい銃の弾薬に使われている、といううわさだったといわれています。けれども根本にあったのは、イギリスの支配への強い不満でした。
兵士たちは、インドの王朝だったムガル帝国の都デリー(今のインド)を占領し、その皇帝を立てました。そこに農民や町の人々も加わり、反乱は北インドから中部へと広がっていきます。インド大反乱は、イギリスの支配に立ち向かったインドの人々の動きでした。
イギリスはこの反乱をしずめると、ムガル帝国の皇帝を退位させて、ムガル帝国をほろぼしました。ムガル帝国は、インドにあったイスラム教徒の王朝です。イギリスは東インド会社を解散させ、国としてインドを直接支配するようになりました。のちに、イギリスのビクトリア女王が皇帝を兼ねるインド帝国になります。こうしてインドは、イギリスの植民地になりました。
東南アジアにも、欧米の国々は進出していきました。19世紀の終わりごろまでに、東南アジアのほとんどが欧米の植民地になります。支配した国は、地図で次のように分かれます。
支配した国 | 植民地にした地域 |
|---|---|
オランダ | ジャワ島など、今のインドネシア |
イギリス | マレー半島、シンガポール、ビルマ(今のミャンマー) |
フランス | 今のベトナム、カンボジア、ラオスのあたり |
スペイン → のちにアメリカ | フィリピン |
タイだけは、イギリスとフランスの植民地にはさまれながらも、独立を保ちました。どの国がどこを支配したのか、タイだけが植民地にならなかったことは、地図の問題でもよく問われます。
まとめ 清の敗戦が日本に伝わるまで
清が負けたという知らせは、長崎(今の長崎県)を通じて江戸幕府にも届きました。オランダは以前から、海外のニュースをまとめた風説書を幕府に出していましたが、アヘン戦争が始まると、もっとくわしい報告も出すようになります。清の船からも知らせが入りました。あの大国の清がイギリスに負けた。幕府は、次は日本かもしれないという強い危機感をもちました。
この単元の流れを一本の線でつなぐと、こうなります。
イギリスで産業革命 → 市場と原料を求めてアジアへ → 三角貿易でアヘンを清に密輸 → 1840年 アヘン戦争 → 南京条約(香港をゆずる・5つの港を開く・賠償金) → 清で太平天国 → インド大反乱、ムガル帝国がほろびてインドはイギリスの植民地に → タイをのぞく東南アジアのほとんども植民地に → 清の敗戦の知らせが幕府へ
産業革命で力をつけた欧米の国々が、市場と原料を求めて、武力を使ってアジアに進出し、次々に植民地にしていった。この動きを「欧米のアジア侵略」と呼びます。その波は、まもなく日本の近くの海にもやってきます。
年表
この単元でテストに出る年号は、1840年の1つです。南京条約・太平天国・インド大反乱は、年号より「アヘン戦争のあと」という順番で押さえておくと整理しやすくなります。
年 | 出来事 |
|---|---|
1840 | イギリスと清のあいだでアヘン戦争が起こる |
用語のまとめ
用語 | 種類 | 意味 |
|---|---|---|
植民地 | 土地 | ほかの国に支配された土地 |
清 | 王朝 | 当時の中国の王朝 |
三角貿易 | 貿易 | イギリスからインドへ綿織物、インドから清へアヘン、清からイギリスへ茶を運んだ貿易 |
アヘン | 麻薬 | 体をこわし、やめられなくなる麻薬。清では輸入が禁止されていた |
密輸 | 行い | 禁止された品物をこっそり持ちこんで売ること |
東インド会社 | 会社 | イギリスがインドの支配を進めた会社。インドでアヘンをつくらせた |
林則徐 | 人物 | 清の皇帝の命令でアヘンを取りしまった役人 |
アヘン戦争 | 戦争 | 1840年、林則徐の取りしまりをきっかけに、イギリスが清を攻めた戦争。イギリスが勝った |
南京条約 | 条約 | アヘン戦争のあと、清がイギリスと結んだ条約。香港をゆずり、5つの港を開き、賠償金を払った |
香港 | 島 | 南京条約でイギリスにゆずられた島。今は中国に返されている |
賠償金 | お金 | 戦争に負けた側が相手に払うお金 |
不平等条約 | 条約 | 一方の国にとって不利な条約 |
太平天国 | 国 | 洪秀全たちが建てた国。清をたおそうと兵をあげた。反乱全体は太平天国の乱とも呼ぶ |
洪秀全 | 人物 | キリスト教の影響を受けた宗教団体をつくり、太平天国を建てた人物 |
インド大反乱 | 反乱 | 東インド会社に雇われたインド人兵士の反乱から始まり、農民なども加わってイギリスの支配に立ち向かった動き |
ムガル帝国 | 王朝 | インドにあったイスラム教徒の王朝。インド大反乱のあと、イギリスにほろぼされた |
インド帝国 | 国 | イギリスのビクトリア女王が皇帝を兼ねた、イギリスの支配するインド |
東南アジア | 地域 | タイをのぞいて、ほとんどが欧米の植民地になった地域 |
風説書 | 報告書 | オランダが幕府に出した、海外のニュースをまとめた報告書 |
よくある間違い
三角貿易は、矢印の向きと品物をセットで書きます。 イギリスからインドへ綿織物、インドから清へアヘン、清からイギリスへ茶。茶とアヘンの向きを入れかえる答えがひっかけとして出ます。
アヘンは、清で禁止されていた品物です。 商人たちはこっそり持ちこんで売っていました。「密輸」という言葉とセットで問われます。
アヘン戦争の年は1840年です。 林則徐の取りしまりはきっかけで、軍艦を送って戦争を始めたのはイギリスです。
南京条約の中身は、香港をゆずる・5つの港を開く・賠償金を払うの3つです。 香港は「島」として出ることもあります。
太平天国は国の名前です。 洪秀全たちが建てた国で、その反乱全体を「太平天国の乱」とも呼びます。
インドで反乱が起きたあと、ムガル帝国はほろびました。 「インド大反乱 → ムガル帝国の滅亡 → イギリスの直接支配」の順で書けるようにしておくと、並べかえ問題で迷いません。
東南アジアには、植民地にならなかった国があります。 それがタイです。「ほとんどが植民地に」と「タイをのぞいて」は、いつもセットで覚えます。
プリントと動画で確認しよう
このテーマの単語テストと問題集は、下のボタンからダウンロードできます。答えと解説つきです。
流れをもう一度確認したいときはアニメーション編、くわしい理由まで知りたいときは詳細解説編の動画をどうぞ。
重要語句 三角貿易、アヘン戦争、南京条約、太平天国、インド大反乱