解説
1859年、横浜(今の神奈川県横浜市)などの港が開かれ、外国との貿易が始まりました。品物が外国へ売られて物の値段が上がると、人々の不満は外国と、条約を結んだ幕府へ向かいます。その不満の中から、天皇を尊び、外国を追い払おうとする動きが強まっていきました。
開国して始まった貿易 横浜とイギリス、生糸と茶
前の単元で見たように、幕府は日米修好通商条約を結びました。この条約にもとづいて、1859年、横浜などの港が開かれ、外国との貿易が始まります。
貿易の中心になったのは横浜です。そして貿易をリードしていた、つまり主導権をにぎっていたのは、条約を結んだアメリカではなくイギリスでした。
日本から外国へ売る輸出品のトップは生糸で、2番めが茶です。生糸は、蚕のまゆからとった糸のことで、横浜からの輸出のおよそ7割を占めていました。反対に、外国から買う輸入品は毛織物や綿織物でした。
貿易 | おもな品物 |
|---|---|
輸出(日本から外国へ) | 生糸・茶 |
輸入(外国から日本へ) | 毛織物・綿織物 |
1開国の影響 物価の上昇と尊王攘夷運動
貿易が始まると、国内では物の値段が上がっていきました。理由は2つあります。
1つ目は品不足です。生糸などが外国へたくさん売られたため、国内では品物が足りなくなりました。品物が足りなければ、値段は上がります。こうして起きたのが物価の上昇です。
2つ目は、お金のしくみの問題です。日本と外国では、金と銀を交換する割合が違っていました。外国から見ると、日本では金がとても安く手に入ったのです。そこで外国の商人は銀貨を日本に持ちこんで金貨に替え、外国へ持ち出しました。日本の金貨は大量に流れ出ていきます。幕府は金の量を減らした小判をつくって流出を止めましたが、そのために物価はさらに上がりました。
安い綿織物などが入ってきたことで、国内で綿織物をつくっていた人たちも打撃を受けました。暮らしが苦しくなる中で、一揆も多く起こります。人々の不満は、外国と、条約を結んだ幕府に向かっていきました。
この不満が高まる中で広まったのが、尊王攘夷という考え方です。尊王は天皇を尊ぶ考え、攘夷は外国を追い払おうとする考えで、この2つが結びついています。
尊王攘夷の考えは、下級武士を中心に全国へ広まりました。物価の上昇で暮らしがいっそう苦しくなった下級武士たちは、天皇を尊び外国をしりぞけることをかかげて、幕府の政治を批判します。この運動が尊王攘夷運動です。以前の単元で学んだ国学も、天皇を尊ぶ考えと結びついて、尊王攘夷運動に影響をあたえました。
この時点の尊王攘夷運動は、幕府の政治を批判する運動です。幕府をたおす方向へ動き出すのは、もう少しあとの話になります。
2安政の大獄と桜田門外の変 大老 井伊直弼と、反対する人々
話は少しもどって、前の単元の条約が結ばれた1858年です。このとき幕府の中心にいたのが、大老の井伊直弼でした。彦根藩(今の滋賀県)の藩主で、大老とは幕府でいちばん上の役職のことです。
井伊直弼のやり方には、反対する人がたくさんいました。理由はおもに2つで、1つは条約を結んだこと、もう1つは将軍の跡継ぎを決めたことです。井伊直弼は、反対する大名や公家、武士たちをきびしく処罰しました。処罰された人は100人をこえます。1858年から次の年にかけて行われたこの弾圧を、安政の大獄といいます。
このとき、吉田松陰や橋本左内たちが死刑になりました。吉田松陰は長州藩(今の山口県)の人で、松下村塾という塾で、のちに活やくする若者たちを教えていました。
安政の大獄は、多くの人の反発を呼びました。1860年、水戸藩(今の茨城県)などの浪士たちが、江戸城(今の東京都)の桜田門の外で井伊直弼を暗殺します。これが桜田門外の変です。浪士とは、主君の家をはなれた武士のことで、藩が命令して起こした事件ではありません。
幕府でいちばん上の役職にある人が、江戸城のすぐ外で殺されたのです。この事件で、幕府の力、つまり幕府の威信は大きく下がりました。
井伊直弼のあと、幕府は朝廷と協力して立て直そうとします。朝廷(公)と幕府(武)が協力して政治を行おうという考えを、公武合体といいます。この考えのもとで、孝明天皇の妹の和宮が、将軍の徳川家茂と結婚しました。
3外国との戦い 生麦事件と薩英戦争(イギリス)、下関戦争(4か国)
尊王攘夷の考えが広がる中で、外国との争いが実際に起こります。
1862年、薩摩藩(今の鹿児島県)の島津久光の行列が、生麦村(今の横浜市)を通っていました。そこへ、馬に乗ったイギリス人4人が行列に入りこんでしまいます。薩摩藩士たちはこれを無礼だとして切りつけ、1人が亡くなり、ほかの人もけがをしました。これが生麦事件です。
この生麦事件がきっかけとなって、次の年の1863年、イギリスの艦隊が鹿児島にやってきて、薩摩藩と戦いになりました。これが薩英戦争です。戦いの中で鹿児島の町の一部が焼けました。薩摩藩とイギリス、どちらにも大きな損害が出て、勝ち負けははっきりしませんでした。
長州藩は、尊王攘夷の中心になった藩です。攘夷を実行しようとした長州藩は、1863年、下関(今の山口県下関市)の海峡を通るアメリカ・フランス・オランダの船を、大砲でうちました。この海峡は、本州と九州の間にあります。
すると次の年の1864年、その仕返しとして、イギリス・フランス・アメリカ・オランダの4か国の艦隊が、下関の砲台を攻撃して占領しました。この4か国の艦隊の攻撃を下関戦争といいます。長州藩が外国の船をうったのが先で、4か国の艦隊の攻撃はその次の年です。
2つの戦いは、藩と相手の国、きっかけを組にすると区別しやすくなります。
戦い | 戦った藩 | 相手 | きっかけ |
|---|---|---|---|
薩英戦争 | 薩摩藩 | イギリス | 生麦事件 |
下関戦争 | 長州藩 | イギリス・フランス・アメリカ・オランダの4か国 | 前の年に長州藩が外国の船を砲撃したこと |
実際に外国と戦った薩摩藩と長州藩は、欧米の軍事力の強さを思い知りました。外国を追い払う攘夷はできないとさとり、2つの藩はイギリスに近づいていきます。
まとめ 開国から、攘夷はむりだとさとるまで
一本の線でつなぐと、こうなります。
開港して貿易が始まる(輸出は生糸・茶) → 品不足とお金のしくみの問題で物価の上昇 → 人々の不満が高まり、尊王攘夷運動が広まる → 大老 井伊直弼が安政の大獄で反対する人々を処罰 → 桜田門外の変で井伊直弼が暗殺され、幕府の威信が下がる → 公武合体 → 生麦事件 → 薩英戦争 → 長州藩が外国の船を砲撃 → 下関戦争 → 薩摩藩と長州藩が、攘夷はむりだとさとってイギリスに近づく
開国で経済が混乱し、政治も混乱する中で、攘夷の動きは強まっていきました。ところが実際に戦った薩摩藩と長州藩は、攘夷はむりだと知ります。2つの藩はこのあと手を組み、幕府をたおす方向へ動き出していきます。その動きは、次の単元「江戸幕府の滅亡」で確かめてください。
用語のまとめ
用語 | 種類 | 意味 |
|---|---|---|
生糸 | 輸出品 | 蚕のまゆからとった糸。開港後の輸出品の第1位 |
茶 | 輸出品 | 生糸に次ぐ2番めの輸出品 |
毛織物・綿織物 | 輸入品 | 開港後に外国から入ってきたおもな品物 |
物価 | 言葉 | 物の値段。開港後、品不足とお金のしくみの問題で上がった |
尊王 | 考え方 | 天皇を尊ぶ考え |
攘夷 | 考え方 | 外国を追い払おうとする考え |
尊王攘夷 | 考え方 | 尊王と攘夷が結びついた考え方 |
尊王攘夷運動 | 運動 | 尊王攘夷の考えで幕府の政治を批判した運動。下級武士を中心に広まった |
国学 | 学問 | 天皇を尊ぶ考えと結びつき、尊王攘夷運動に影響をあたえた学問 |
井伊直弼 | 人物 | 幕府の大老。安政の大獄を行い、桜田門外の変で暗殺された |
大老 | 役職 | 幕府でいちばん上の役職 |
安政の大獄 | 弾圧 | 井伊直弼が、条約を結んだことや将軍の跡継ぎを決めたことに反対する大名・公家・武士たちを処罰したこと |
吉田松陰 | 人物 | 長州藩の人。松下村塾で若者たちを教え、安政の大獄で死刑になった |
松下村塾 | 塾 | 吉田松陰が若者たちを教えた塾 |
桜田門外の変 | 事件 | 水戸藩などの浪士たちが、江戸城の桜田門の外で井伊直弼を暗殺した事件。幕府の威信が下がった |
浪士 | 人 | 主君の家をはなれた武士 |
公武合体 | 考え方 | 朝廷(公)と幕府(武)が協力して政治を行おうという考え |
和宮 | 人物 | 孝明天皇の妹。将軍の徳川家茂と結婚した |
島津久光 | 人物 | 薩摩藩の人。生麦事件のときの行列の主 |
生麦事件 | 事件 | 島津久光の行列に入りこんだイギリス人を、薩摩藩士が殺傷した事件。薩英戦争のきっかけ |
薩英戦争 | 戦争 | 生麦事件をきっかけに、イギリスの艦隊と薩摩藩が鹿児島で戦った戦争 |
下関戦争 | 戦争 | 4か国(イギリス・フランス・アメリカ・オランダ)の艦隊が、長州藩の下関の砲台を攻撃・占領した戦い。きっかけは前の年の長州藩の砲撃 |
よくある間違い
輸出品と輸入品は、入れかえずに区別します。 輸出は生糸・茶、輸入は毛織物・綿織物です。生糸が輸出の第1位だったことも、よく問われます。
開港後の貿易の主導権をにぎっていたのはイギリスです。 条約を結んだ国と、貿易をリードした国は別なので、ひっかけ問題になりやすいところです。
物価が上がった理由は2つです。 生糸などが外国へ売られて起きた品不足と、金貨が外国へ流れ出たことから始まったお金のしくみの問題です。
尊王攘夷運動は、幕府の政治を批判する運動です。 尊王(天皇を尊ぶ)と攘夷(外国を追い払おうとする)の2つの考えが結びついたもので、漢字で書かせる問題も出ます。
安政の大獄が先、桜田門外の変があとです。 安政の大獄への反発から、井伊直弼が暗殺されました。並べかえ問題では、この順番と因果をセットで押さえます。
桜田門外の変を起こしたのは、水戸藩などの浪士たちです。 浪士は主君の家をはなれた武士で、藩が命令した事件ではありません。
薩英戦争の相手はイギリス、下関戦争の相手は4か国です。 薩摩藩は薩英戦争、長州藩は下関戦争と、藩とも組にします。下関戦争は4か国の艦隊の攻撃のことで、そのきっかけは前の年に長州藩が外国の船を砲撃したことでした。
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重要語句 生糸の輸出、安政の大獄、桜田門外の変、生麦事件、薩英戦争