中学社会・歴史・開国と近代日本の歩み・No.61

江戸幕府の滅亡

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解説

260年あまり続いた江戸幕府は、1867年に終わりを迎えます。幕府をたおす側にまわったのは、薩摩藩(今の鹿児島県)と長州藩(今の山口県)でした。ついこの前まで外国を追い払おうとしていた2つの藩が、なぜ幕府に向かったのか。始まりは、外国との戦いでした。

攘夷から倒幕へ

前の単元で見たように、薩摩藩は薩英戦争で、長州藩は下関戦争で、実際に外国と戦いました。戦ってみて、2つの藩は外国の強さを思い知ります。外国を追い払う攘夷は、むずかしい。

そこで2つの藩は考えを変え、今度は幕府をたおす方向へ動き出しました。幕府をたおすことを倒幕といいます。「攘夷から倒幕へ」と考えを変えた理由は、自分の言葉で説明させる問題にもなりやすいところです。

11866年、薩長同盟 薩摩藩と長州藩が手を組む

薩摩藩と長州藩は、それまでずっと対立していました。ところが長州藩で、高杉晋作たちが2つの藩が協力する良さに気づき、両藩は急速に近づいていきます。

その間に入ったのが、土佐藩(今の高知県)出身の坂本龍馬と中岡慎太郎です。1866年、坂本龍馬らの仲立ちで、薩摩藩と長州藩は幕府をたおすための同盟を結びました。これが薩長同盟です。話し合いの席にいたのは、薩摩藩の西郷隆盛たちと、長州藩の木戸孝允(はじめは桂小五郎という名前)でした。

一方の幕府は、長州藩を2回攻めています。これを長州征討といいます。1回目は長州藩が幕府に従ったので、戦わずに終わりました。ところが同じ1866年の2回目は、すでに薩長同盟を結んでいた長州藩の方が強く、幕府軍は敗れます。そして前の将軍が亡くなったのをきっかけに、兵を引きました。

将軍の軍が長州藩に敗れて引き上げたことで、幕府の力(権威)は大きく落ちました。

このころの世の中も、落ち着かない状態でした。1867年ごろには、「おふだが降った」として人々が「ええじゃないか」と歌い踊る騒ぎが各地に広がります。世の中を変えてほしいという世直し一揆も起こっていました。どちらも、幕府がたおれる直前の世直しを求める空気を映した出来事とされています。

21867年、大政奉還と王政復古の大号令 徳川慶喜と倒幕派

前の将軍が亡くなったあと、江戸幕府の15代将軍になったのが徳川慶喜(よしのぶ)です。この人が、江戸幕府の最後の将軍になります。

倒幕の動きが強まるなかで、土佐藩が動きました。土佐藩の前の藩主だった山内豊信が、藩士の後藤象二郎を通じて、政権を朝廷に返すよう慶喜にすすめたのです。武力で幕府をたおす動きを避けるためのすすめでした。この土佐藩の考えには、坂本龍馬の考えも影響したとされています。

慶喜は、京都(今の京都府)の二条城に、京都にいた藩の重臣たちを集めて意見を聞き、政権を返すことを決めました。そして1867年、慶喜は政治を行う権利(政権)を朝廷に返すと申し出て、朝廷がこれを認めました。これを大政奉還といいます。

慶喜が自分から政権を返したのは、政権を返しても、新しい政治のしくみの中で徳川家が力をもち続けられると考えていたからだとされます。じつは大政奉還と同じ日、薩摩藩と長州藩は「幕府をたおせ」という命令を手に入れていました。けれども慶喜が政権を返したので、武力で幕府をたおす理由がなくなってしまいます。

坂本龍馬は、大政奉還の直後に、中岡慎太郎とともに京都で暗殺されました。新しい政府ができるのを見ることはできませんでした。

旧幕府の側は、新しい政府の中でも力をもとうと考えていました。そこで、倒幕をめざす薩摩藩や長州藩、公家の岩倉具視たちが動きます。薩摩藩の大久保利通や西郷隆盛も、その中心にいました。同じ1867年の終わり、彼らは朝廷に働きかけて王政復古の大号令を出させます。

王政復古とは、王、つまり天皇の政治にもどすという意味です。王政復古の大号令は、幕府をなくし、天皇のもとに新しい役職を置いて、天皇を中心とする新しい政府をつくると宣言したものでした。こうして江戸幕府は終わります。徳川家康が開いてから260年あまり、鎌倉幕府から700年近く続いた武士の政治も、ここで終わりました。

王政復古の大号令が出された日の夜、新政府は会議を開き、慶喜に官職(役職)を辞めさせ、領地を差し出させることを決めます。旧幕府の側はこれに強く反発し、次の戦争の原因になりました。

3戊辰戦争 鳥羽・伏見の戦いから五稜郭まで

1868年、大坂(今の大阪府)にいた旧幕府軍が京都へ向かい、京都の南のはずれの鳥羽・伏見で、薩摩藩・長州藩を中心とする新政府軍とぶつかりました。これが鳥羽・伏見の戦いです。旧幕府軍には、会津藩(今の福島県)などの兵も加わっていました。結果は旧幕府軍の敗北で、慶喜は大坂から江戸(今の東京都)にもどります。

この鳥羽・伏見の戦いから始まった、新政府軍と旧幕府側の戦いを、まとめて戊辰戦争といいます。1868年から次の年まで、1年半ほど続きました。始まった1868年が「戊辰」という年にあたるので、この名前がついています。

新政府軍は、江戸城を総攻撃する日まで決めていました。けれども、旧幕府の勝海舟と新政府軍の西郷隆盛が話し合い、戦いは避けられます。1868年、江戸城は戦わずに明け渡されました。これを江戸城無血開城ともいいます。ほかにも間に入って動いた人たちがいたので、「2人の話し合いで戦いが避けられた」と押さえておくと正確です。

江戸のあと、戦いは東北へと広がりました。東北などの藩は同盟をつくって新政府に抵抗します。中でも大きな戦いになったのが会津藩との戦いで、会津藩は降伏しました。

最後の戦いの場所は、箱館(今の北海道函館市)にある五稜郭です。旧幕府の榎本武揚たちは、旧幕府の軍艦を率いて江戸を脱出し、五稜郭にたてこもりました。しかし新政府軍に攻められ、1869年に降伏します。これで戊辰戦争は終わり、旧幕府の側の抵抗はすべて終わりました。

五稜郭は、もともと幕府が箱館の役所として築いた城です。上から見ると星のような形で、5つの角があることからこの名前がつきました。日本で最初の西洋式の城でもあります。京都から江戸、東北、そして北海道へと、戦いの場所が北へ移っていったことを、地図で確かめておくと流れがつかめます。

まとめ 攘夷から倒幕、そして新しい政府へ

この単元の流れを一本の線でつなぐと、こうなります。

外国の強さを知った薩摩藩と長州藩が攘夷から倒幕へ → 1866年 薩長同盟(坂本龍馬らの仲立ち) → 2回目の長州征討で幕府軍が敗れ、幕府の力が落ちる → 1867年 大政奉還(徳川慶喜が政権を朝廷に返す) → 1867年 王政復古の大号令(幕府をなくし、天皇を中心とする新政府へ) → 戊辰戦争(鳥羽・伏見の戦い → 江戸城の明け渡し → 東北の戦い → 五稜郭)

1867年の大政奉還と王政復古の大号令で、江戸幕府は終わりました。そのあとの戊辰戦争で旧幕府の側の抵抗も終わり、政治の中心は天皇のもとの新しい政府に移ります。この新しい政府がどんな国づくりを進めたのかが、次の「明治維新の始まり」の話です。

年表

この単元でテストに出る年号は、1866年と1867年の2つです。

年

出来事

1866

坂本龍馬らの仲立ちで、薩摩藩と長州藩が薩長同盟を結ぶ

1867

徳川慶喜が大政奉還を行い、そのあと王政復古の大号令が出される

用語のまとめ

用語

種類

意味

倒幕

動き

幕府をたおすこと。薩摩藩と長州藩は攘夷から倒幕へ考えを変えた

薩長同盟

同盟

1866年、坂本龍馬らの仲立ちで、薩摩藩と長州藩が幕府をたおすために結んだ同盟

坂本龍馬

人物

土佐藩(今の高知県)出身。中岡慎太郎とともに薩長同盟の仲立ちをした

西郷隆盛

人物

薩摩藩の中心人物。薩長同盟の席にいた。江戸城の明け渡しで勝海舟と話し合った

木戸孝允

人物

長州藩の中心人物。はじめは桂小五郎という名前

長州征討

戦い

幕府が長州藩を2回攻めた戦い。2回目に幕府軍が敗れ、幕府の権威が落ちた

ええじゃないか

民衆の騒ぎ

「おふだが降った」として、人々が「ええじゃないか」と歌い踊った騒ぎ

世直し一揆

一揆

世の中を変えることを求めて起こった一揆

徳川慶喜

人物

江戸幕府の15代将軍で、最後の将軍。大政奉還を行った

大政奉還

出来事

1867年、徳川慶喜が政権を朝廷に返したこと

二条城

城

京都の城。慶喜が藩の重臣たちに意見を聞き、大政奉還を決めた場所

王政復古の大号令

宣言

1867年、幕府をなくし、天皇を中心とする新しい政府をつくると宣言したもの

岩倉具視

人物

公家。薩摩藩・長州藩とともに王政復古の大号令を出させた

新政府

政府

王政復古の大号令でつくると宣言された、天皇を中心とする政府

戊辰戦争

戦争

新政府軍と旧幕府側の戦い。鳥羽・伏見の戦いで始まり、五稜郭で終わった

鳥羽・伏見の戦い

戦い

京都の南のはずれで起こった、戊辰戦争の最初の戦い。旧幕府軍が敗れた

江戸城無血開城

出来事

勝海舟と西郷隆盛の話し合いで、江戸城が戦わずに明け渡されたこと

勝海舟

人物

旧幕府の側で、新政府軍の西郷隆盛と話し合った

五稜郭

城

箱館(今の北海道函館市)にある星形の西洋式の城。戊辰戦争の最後の戦いの場所

榎本武揚

人物

旧幕府の軍艦を率いて江戸を脱出し、五稜郭にたてこもった

よくある間違い

大政奉還と王政復古の大号令は、別の出来事です。 大政奉還は、慶喜が政権を朝廷に返したこと。王政復古の大号令は、倒幕派が幕府をなくして天皇を中心とする新政府をつくると宣言したことです。どちらも1867年で、大政奉還が先です。

江戸幕府が終わった年は1867年です。 大政奉還で政権を返し、王政復古の大号令で幕府がなくなりました。江戸城の明け渡しは、そのあとの戊辰戦争の中の出来事です。

薩長同盟は「坂本龍馬らの仲立ち」です。 中岡慎太郎も仲立ちをしていて、両藩の側でも手を組む動きが進んでいました。「ら」までが答えの一部だと考えておくと、記述でも迷いません。

大政奉還をすすめたのは土佐藩です。 前の藩主の山内豊信が、後藤象二郎を通じて慶喜にすすめました。二条城は、慶喜が意見を聞いて大政奉還を決めた場所です。

戊辰戦争は戦争全体の名前です。 鳥羽・伏見の戦いはその最初の戦いで、最後の戦いは五稜郭です。名前の関係を入れかえる選択肢がひっかけとして出ます。

勝海舟は旧幕府の側、西郷隆盛は新政府軍の側です。 江戸城の明け渡しの話し合いで、どちらがどちらの側だったかがよく問われます。

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重要語句 坂本龍馬、薩長同盟、徳川慶喜、大政奉還、王政復古の大号令

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