中学社会・歴史・開国と近代日本の歩み・No.64

殖産興業と文明開化

動画で学ぶ

動画は準備中です

動画は準備中です。

解説

明治のはじめ、日本には新しい工場や鉄道、郵便が次々に生まれました。町には、洋服を着た人やれんが造りの建物も見られるようになります。政府が産業を育てた動きが殖産興業、暮らしが西洋風に変わっていった動きが文明開化です。テストでは、富岡製糸場や鉄道・郵便といった政策と、都市の暮らしの変化や新しい考え方を広めた人物が問われます。

前回の富国強兵から 国を豊かにするための政策

前の単元で見たように、明治政府は富国強兵をめざして、学制・徴兵令・地租改正の3つの改革を行いました。富国強兵とは、国を豊かにして、軍事力を強くすることです。そのうちの「富国」、国を豊かにするために進めた政策が、今回の殖産興業です。

殖産興業とは、産業をさかんにすることです。政府は近代的な産業を育てるため、工場を建てたり、交通や通信を整えたりしました。そのとき政府は外国の機械や技術を取り入れ、鉄道や鉱山などの事業や、お手本になる工場を自分で経営しました。このころ政府の中心となって殖産興業を進めたのが、大久保利通です。

1殖産興業 富岡製糸場と、鉄道・郵便

政府はまず、お手本になる工場を自分でつくって見せました。これを官営模範工場といいます。官営は政府が経営すること、模範はお手本のことで、民間の工場が見習うための工場という意味です。

官営模範工場の代表が、群馬県の富岡(今の群馬県富岡市)にある富岡製糸場です。1872年に操業を始めた、生糸をつくる工場でした。生糸は当時いちばんの輸出品だったので、その質を高め、技術を持った人を育てることがねらいでした。富岡が選ばれたのは、養蚕がさかんで、原料のまゆや水に恵まれていたからといわれています。

工場には、フランスの機械と技術が取り入れられ、フランス人の技師が指導しました。建物は、木の骨組みにれんがを積んだつくりです。ここで働いたのが、全国から集められた工女でした。工女には士族の家の出身の人が多く、はじめのうちはなかなか人が集まりませんでした。工女たちはここで技術を学び、ふるさとに帰ってから、各地の工場でその技術を広めました。富岡製糸場の建物は今もほぼそのまま残っていて、世界文化遺産になっています。

交通では、1872年に新橋(今の東京都)と横浜(今の神奈川県)の間に、日本で最初の鉄道が開通しました。イギリスの技術でつくられ、走ったのはイギリスから輸入した蒸気機関車です。政府にはお金の余裕がなかったので、建設のお金はイギリスで集めました。当時の新橋や横浜の駅は、今ある同じ名前の駅とは別の駅です。

通信では、1871年に前島密によって郵便制度が始まりました。前島はイギリスで郵便制度を調べた人で、その意見をもとに郵便が始まり、郵便制度づくりにも力をつくしました。はじめは東京・京都・大阪の間だけでしたが、翌年にはほぼ全国に広がります。「郵便」「切手」という言葉を決めたのも前島で、全国どこへでも同じ料金で送れるようにしました。江戸時代の飛脚は料金がとても高かったので、飛脚より安く、だれでも手紙を送りやすくなりました。ここが江戸時代との大きな違いです。

2文明開化 都市の暮らしの変化と太陽暦

明治のはじめ、欧米の文化が取り入れられて、おもに都市で、生活が急に西洋風に変わっていきました。これを文明開化といいます。

洋服を着て、まげを切ったざんぎり頭にする人が出てきました。まげを切ってもよい、刀を差さなくてもよいという法令が出たためで、切るかどうかは自由でした。牛肉を鍋で煮ながら食べる牛鍋も、東京などで流行します。町には、れんが造りの建物やガス灯、人力車や馬車が見られるようになりました。このうち人力車は、明治のはじめに日本で考え出された乗り物です。ほかの多くが欧米から入ってきたものなので、ここは区別して覚えます。

ただし、変わったのは東京や横浜などの大きな都市が中心で、地方にはまだあまり広まっていませんでした。暮らしが一度に全部変わったわけではありません。

暦も変わりました。それまでの日本の暦は、月の満ち欠けをもとにした暦、つまり旧暦です。政府はこれをやめて、欧米と同じ太陽暦に切りかえました。太陽暦は、地球が太陽のまわりを1周する1年をもとにした暦です。明治5年の12月3日を、とつぜん明治6年の1月1日にしたので、この年の12月はほとんどなくなりました。

時刻も、1日を24時間に分ける今と同じ数え方になります。外国と同じ暦にして、外国とのつきあいにも都合がよいようにしたのです。次の年は旧暦だとうるう月が入り、1年が13か月になるはずでした。そこで政府が、月給を1か月分多く払わなくてすむように急いで変えた、ともいわれています。なお、役所などで日曜日が休みになったのは、太陽暦に変えたときではなく、少しあとの明治9年です。

3新しい考え方 福沢諭吉の『学問のすゝめ』と中江兆民

新しい考え方を広めた人物も、2人押さえます。

1人目は福沢諭吉です。福沢は江戸時代の終わりに3回も欧米へ行き、欧米の文化を日本に紹介しました。慶応義塾という学校をつくり、政府の役人にはなりませんでした。その福沢が書いたのが『学問のすゝめ』で、1872年に最初の編が出て、当時のベストセラーになります。

『学問のすゝめ』は、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という言葉で始まり、人はみな平等だと説きました。さらに、学問、それも生活に役立つ実学を学んで一人ひとりが自立すれば、国も独立できると説きました。本の中では「一身独立して一国独立する」と書かれています。

2人目は中江兆民です。兆民は岩倉使節団と一緒にヨーロッパへ渡り、フランスに留学しました。帰国したあと、フランスの思想家ルソーの本、社会契約論を訳して紹介し、東洋のルソーと呼ばれます。兆民が訳して紹介したルソーの考えは、のちの自由民権運動に大きな影響をあたえました。岩倉使節団は次の単元で、自由民権運動はそのあとの単元で、くわしく扱います。

まとめ 国を豊かにする政策と、変わっていく暮らし

一本の線でつなぐと、こうなります。

富国強兵の「富国」のために殖産興業 → 官営模範工場の代表、群馬県の富岡製糸場(フランスの技術・生糸・工女が技術を各地へ) → 新橋と横浜の間に鉄道(イギリスの技術)、前島密によって郵便制度 → おもに都市で文明開化(洋服・ざんぎり頭・牛鍋・れんが造り・ガス灯・人力車) → 旧暦から太陽暦へ(1日24時間) → 福沢諭吉『学問のすゝめ』で平等を説く、中江兆民がルソーの本を訳して紹介

産業を育てる殖産興業と、暮らしや考え方が西洋風になっていく文明開化。どちらも、欧米に追いつこうとして進められた近代化でした。次の単元「岩倉使節団と国境の画定」では、明治政府が欧米に送った使節団と、日本の国境がどう決まっていったのかが話の中心になります。

用語のまとめ

用語

種類

意味

富国強兵

目標

国を豊かにして、軍事力を強くすること

殖産興業

政策

産業をさかんにすること。富国強兵の「富国」のために、政府が近代的な産業を育てた

大久保利通

人物

政府の中心となって殖産興業を進めた

官営模範工場

工場

政府が経営する、民間のお手本になる工場

富岡製糸場

工場

群馬県の富岡にある、代表的な官営模範工場。フランスの機械と技術を取り入れ、生糸をつくった。今は世界文化遺産

生糸

品物

当時いちばんの輸出品。富岡製糸場はその質を高めるためにつくられた

工女

人

富岡製糸場で働いた女性たち。技術を学び、ふるさとに帰って各地に広めた

鉄道

交通

新橋と横浜の間に開通した日本で最初の鉄道。イギリスの技術でつくられた

郵便制度

通信

前島密によって始まった、手紙を送るしくみ。東京・京都・大阪の間から、翌年にはほぼ全国へ

前島密

人物

イギリスで郵便制度を調べ、日本の郵便制度づくりに力をつくした。「郵便」「切手」の名前を決めた

文明開化

社会の変化

欧米の文化が取り入れられ、おもに都市で生活が急に西洋風に変わったこと

ざんぎり頭

髪型

まげを切った髪型

牛鍋

料理

牛肉を鍋で煮ながら食べる料理。東京などで流行した

人力車

乗り物

明治のはじめに日本で考え出された乗り物

旧暦

暦

月の満ち欠けをもとにした、それまでの暦

太陽暦

暦

地球が太陽のまわりを1周する1年をもとにした暦。明治5年12月3日を明治6年1月1日にして切りかえた

福沢諭吉

人物

江戸時代の終わりに3回欧米へ行き、欧米の文化を紹介した。慶応義塾をつくり、『学問のすゝめ』を書いた

学問のすゝめ

本

福沢諭吉の本。「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」で始まり、人はみな平等で、学問で自立することを説いた

慶応義塾

学校

福沢諭吉がつくった学校

中江兆民

人物

フランスに留学し、ルソーの本(社会契約論)を訳して紹介した

東洋のルソー

呼び名

中江兆民の呼び名

自由民権運動

運動

のちに起こる運動。兆民が紹介したルソーの考えが大きな影響をあたえた(くわしくはあとの単元)

よくある間違い

殖産興業は、富国強兵の「富国」のための政策です。 国を豊かにするために産業を育てた政策で、軍事力を強くする「強兵」の側とは分けて覚えます。

富岡製糸場は、群馬県・生糸・フランスの3つとセットです。 鉄道はイギリスの技術、富岡製糸場はフランスの機械と技術なので、国を入れかえる選択肢がひっかけになります。

郵便制度は前島密です。 人物と制度を組にして、名前を漢字で書けるようにします。

文明開化で暮らしが変わったのは、おもに都市です。 地方にはまだあまり広まっていなかったことが、記述問題で問われます。

人力車は、日本で考え出された乗り物です。 洋服やガス灯のように欧米から入ってきたものとは、出どころが違います。

太陽暦への切りかえは、明治5年12月3日が明治6年1月1日になった形で覚えます。 1日を24時間に分ける数え方もこのとき始まりました。役所などで日曜日が休みになったのは、少しあとの明治9年です。

『学問のすゝめ』は福沢諭吉、ルソーの本を訳して紹介したのは中江兆民です。 2人とも新しい考え方を広めた人物なので、取り違える答えがよく出ます。「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という言葉で始まるのが『学問のすゝめ』です。

プリントと動画で確認しよう

このテーマの単語テストと問題集は、下のボタンからダウンロードできます。答えと解説つきです。

流れをもう一度確認したいときはアニメーション編、くわしい理由まで知りたいときは詳細解説編の動画をどうぞ。

重要語句 富岡製糸場、鉄道、郵便制度、福沢諭吉、学問のすゝめ

プリント(PDF)

ショート動画

ショート動画は準備中です。

「開国と近代日本の歩み」のテーマ一覧にもどる