解説
明治時代の中ごろの1894年、日本と清(しん、今の中国)のあいだで日清戦争が始まりました。日本と清の戦争なのに、戦いの舞台になったのはおもに朝鮮です。勝った日本は下関条約で台湾などを手に入れましたが、遼東半島は手放すことになりました。
朝鮮をめぐる日本と清の対立
前の単元で見たように、外務大臣の陸奥宗光のもとで、日本は1894年に領事裁判権の撤廃に成功しました。今回の日清戦争が始まったのも、同じ1894年です。陸奥宗光は、この戦争のときの外交も担当しました。
話はもう少しさかのぼります。日本は1876年に日朝修好条規を結んで朝鮮を開国させ、そのあと朝鮮に進出していきました。すると、日本と清は、朝鮮をめぐって対立するようになります。日清戦争の「日」は日本、「清」は清のことで、清は今の中国にあった、当時の国の名前です。
日清戦争の原因を聞かれたら、まず「朝鮮をめぐる日本と清の対立」です。ここが、この単元全体の出発点になります。
11894年、朝鮮の農民の反乱から日清戦争へ
1894年、朝鮮の南部で、農民の大きな反乱が起きました。中心になったのは、東学(とうがく)を信じる人たちです。東学は、朝鮮の民衆の間に広がった宗教でした。この反乱を甲午農民戦争(こうごのうみんせんそう)といいます。農民たちは、役人の不正をなくすことや、外国人を追い出すことを求めました。
この反乱は、以前は「東学党の乱」ともよばれていました。テストでは「甲午農民戦争」の名前で書けるようにしておきます。漢字が難しいので、一度は書いて練習しておくと安心です。
朝鮮の政府は、反乱をしずめるために、清に出兵を求めました。清が軍を送ると、日本も対抗して朝鮮に軍を送ります。こうして、朝鮮の中で日本と清の軍が向き合うことになりました。
そして1894年、日清戦争が始まります。日本と清の軍が衝突したのです。日清戦争は、近代の日本が初めて体験した本格的な戦争でした。
甲午農民戦争、清の出兵、日本の出兵、そして日清戦争。この順番は、記述問題で流れを書かせる形でよく出ます。
戦争では、日本が平壌の戦いや黄海の海戦などで勝ちました。平壌(ピョンヤン)は今の北朝鮮の首都、黄海(こうかい)は中国と朝鮮半島の間の海です。陸の戦いと海の戦いを、セットで覚えておきましょう。
戦いの場所は、おもに朝鮮でした。そのあと、戦いは遼東半島(りょうとうはんとう)などの清の地域にも広がっていきます。遼東半島は、今の中国の東北部にある半島で、このあとの話で何度も出てきます。
2下関条約 清が認めた3つのこと
戦争に勝った日本は、翌年の1895年、下関(今の山口県)で清と講和条約を結びました。講和条約とは、戦争をやめるための条約のことです。これが下関条約です。
日本の全権は、首相の伊藤博文と外務大臣の陸奥宗光でした。伊藤博文は、初代の内閣総理大臣になった人物です。2人の役目を取り違えやすいので、首相が伊藤博文、外務大臣が陸奥宗光と分けて覚えます。清の全権は李鴻章(りこうしょう)でした。
下関条約で、清が認めた内容は次の3つです。
- 朝鮮が独立国であることを認める
- 遼東半島・台湾・澎湖諸島を日本にゆずる
- 日本に賠償金として2億両(テール)を払う
賠償金は、戦争に負けた側が相手に払うお金のことです。2億両を日本のお金にすると、3億円あまりになります。
1つ目の「朝鮮の独立」には注意が必要です。このとき、朝鮮という国が新しくできたわけではありません。清に、朝鮮が独立国であることを認めさせた、という意味です。これによって、日本は朝鮮に進出しやすくなりました。
2つ目の土地は、地図で場所を確かめておきましょう。台湾は、中国の南東にある島です。澎湖諸島(ほうこしょとう)は、その台湾の西にある島々です。
こうして日本は、台湾などを植民地にしました。植民地とは、ほかの国に支配された土地のことです。日本は台湾の台北に台湾総督府という役所を置いて、台湾を支配していきます。台湾の人々は日本の支配に反対して抵抗しましたが、日本は軍隊でおさえました。
3三国干渉 遼東半島を清に返す
下関条約で、日本は遼東半島をゆずり受けました。ところが、これに口を出してきた国があります。ロシアです。
ロシアは、満州(今の中国の東北部)に進出しようとしていました。日本が遼東半島を手に入れたことに、ロシアは強い危機感をもったのです。そこでロシアは、ドイツ・フランスといっしょに、遼東半島を清に返すよう日本に求めてきました。これを三国干渉といいます。
日本には、3つの国に対抗するだけの力がありませんでした。日本はやむなく要求を受け入れ、遼東半島を清に返します。下関条約でゆずり受けて、三国干渉で清に返す。この2つは続けて問われることが多いので、ひとつながりで覚えておきます。
三国干渉のあと、日本では「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」が合言葉になりました。目的をとげるために苦しさにたえる、という意味の、中国の昔の話からできた言葉です。日本は、ロシアとの戦いに備えて、軍備の拡張を進めていきました。
戦争は、日本と清のその後も変えました。清から受け取った賠償金は、軍備の拡張や、八幡製鉄所の建設などに使われます。八幡製鉄所は、あとの単元でくわしく出てきます。
清は、戦争に負けたことで弱いことが明らかになりました。ヨーロッパの国々(列強)が、中国に勢力をのばす動きが強まっていきます。一方の日本は、戦争に勝ったことで、国際的な地位が高まりました。
国内の政治では、1900年に、伊藤博文が立憲政友会という政党をつくりました。
まとめ 朝鮮をめぐる対立から三国干渉まで
この単元の流れを一本の線でつなぐと、こうなります。
朝鮮をめぐる日本と清の対立 → 甲午農民戦争 → 清の出兵・日本の出兵 → 1894年 日清戦争 → 下関条約(朝鮮の独立・遼東半島や台湾など・賠償金) → 三国干渉(遼東半島を清に返す) → 臥薪嘗胆・軍備の拡張
戦争に勝った日本は、国際的な地位を高めました。けれども、三国干渉をきっかけに、ロシアとの対立が始まります。清が敗れたあと、こんどはロシアが朝鮮半島に勢力をのばしてきて、次の日露戦争の時代へ進んでいきます。
年表
この単元でテストに出る年号は、1894年の1つです。下関条約と三国干渉は、年号より「日清戦争のあと、下関条約 → 三国干渉」という順番で押さえておくと整理しやすくなります。
年 | 出来事 |
|---|---|
1894 | 朝鮮で甲午農民戦争が起こり、日本と清のあいだで日清戦争が始まる |
用語のまとめ
用語 | 種類 | 意味 |
|---|---|---|
清 | 国 | 当時の中国にあった国。日清戦争の「清」 |
朝鮮 | 国 | 日本と清が、その国をめぐって対立した。日清戦争のおもな戦いの場所 |
東学 | 宗教 | 朝鮮の民衆の間に広がった宗教 |
甲午農民戦争 | 反乱 | 朝鮮の南部で、東学を信じる人たちを中心に農民が起こした反乱。以前は東学党の乱ともよばれた |
日清戦争 | 戦争 | 1894年、朝鮮をめぐって日本と清のあいだで始まった戦争。日本が勝った |
平壌の戦い・黄海の海戦 | 戦い | 日清戦争で日本が勝った陸の戦いと海の戦い |
下関条約 | 条約 | 日清戦争の講和条約。下関(今の山口県)で結んだ。日本の全権は伊藤博文と陸奥宗光、清の全権は李鴻章 |
遼東半島 | 半島 | 今の中国の東北部にある半島。下関条約でゆずり受け、三国干渉で清に返した |
台湾 | 島 | 下関条約でゆずり受けた島。日本は台湾総督府を置いて支配した |
澎湖諸島 | 島々 | 台湾の西にある島々。下関条約でゆずり受けた |
賠償金 | お金 | 戦争に負けた側が相手に払うお金。下関条約では2億両(テール) |
台湾総督府 | 役所 | 日本が台湾を支配するために台北に置いた役所 |
植民地 | 土地 | ほかの国に支配された土地 |
三国干渉 | 要求 | ロシアがドイツ・フランスとともに、遼東半島を清に返すよう日本に求めたこと |
臥薪嘗胆 | 合言葉 | 目的をとげるために苦しさにたえる、という意味の言葉。三国干渉のあとの合言葉 |
列強 | 国々 | ヨーロッパなどの強い国々。清の弱さが明らかになり、中国に勢力をのばす動きを強めた |
よくある間違い
日清戦争の相手は清です。 答えは当時の国の名前で「清」と書きます。原因は「朝鮮をめぐる対立」で、戦いの場所もおもに朝鮮でした。
甲午農民戦争は、日清戦争のきっかけです。 甲午農民戦争 → 清の出兵 → 日本の出兵 → 日清戦争、の順で書けるようにします。名前は漢字で書かせる問題がよく出ます。
下関条約の「朝鮮の独立」は、清に認めさせたことです。 このとき朝鮮という国が新しくできたのではありません。「清は、朝鮮が独立国であることを認めた」と書きます。
下関条約の内容は、朝鮮の独立・遼東半島や台湾などをゆずる・賠償金2億両の3つです。 3つの中から1つを空らんにする問題が定番です。
三国干渉で、遼東半島を返した相手は清です。 返すように求めたのはロシア・ドイツ・フランスの3国で、返した先は清。「求めた国」と「返した先」を分けて答えます。
伊藤博文と陸奥宗光は、どちらも下関条約の全権です。 首相が伊藤博文、外務大臣が陸奥宗光。陸奥宗光は、同じ1894年の領事裁判権の撤廃でも名前が出ます。
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重要語句 甲午農民戦争、下関条約、遼東半島、三国干渉、臥薪嘗胆