中学社会・歴史・近世の日本・No.39

鉄砲とキリスト教の伝来

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解説

1543年に鉄砲が、その6年後の1549年にキリスト教が、ヨーロッパから日本に伝わりました。どちらも、ポルトガルやスペインの人たちとの南蛮貿易と結びついて広まっていきます。

ヨーロッパの人たちがアジアの海へ 戦国時代の日本

前回の単元で見たように、ポルトガルやスペインは新しい航路を開いて、世界の海に出ていきました。ポルトガルはインドなどを足場にして、貿易とキリスト教を広めるために、東アジアの海までやって来ていたんですね。宗教を広めることを布教といいます。前回出てきたイエズス会も、アジアでの布教に力を入れていました。

そのころの日本は、応仁の乱から約80年がたった戦国時代のまっただなかです。自分の力で国を治める戦国大名が、全国で争っていました。そこへ、ヨーロッパの人たちが姿を見せます。

1鉄砲の伝来 ポルトガル人と種子島(1543年)

1543年、ポルトガル人を乗せた中国の船が、九州の南にある種子島(今の鹿児島県)に流れ着きました。嵐などで流されてたどり着くことを漂着といいます。このポルトガル人が持っていたのが鉄砲で、これが1543年の鉄砲の伝来です。

日本に伝わった鉄砲は火縄銃といって、火のついた縄で火薬に火をつけ、玉を撃ち出すしくみでした。島の領主だった種子島時尭は、とても高いお金を出してこの鉄砲を2丁買います。そして家来に火薬の作り方や撃ち方を学ばせ、島の刀鍛冶に同じものを作らせました。伝わった島の名前から、鉄砲は「種子島」とも呼ばれるようになります。

1543年、ポルトガル人が種子島(今の鹿児島県)に流れ着いた
1543年、ポルトガル人が種子島(今の鹿児島県)に流れ着いた

鉄砲は、まもなく日本でも作られるようになりました。中でも一大産地になったのが堺(今の大阪府)です。堺の商人が種子島で作り方を覚えて持ち帰ったとされ、もともと金属を加工する技術がさかんな町だったので、たくさん作ることができたんですね。ほかに国友(今の滋賀県)や根来(今の和歌山県)も、鉄砲の産地として知られています。テストで産地を聞かれたら、まず堺を答えます。

戦国大名は、この鉄砲を競って買い求めました。刀を持って一人ひとりが戦うだけでなく、鉄砲を持った兵士たちが部隊になって、まとまって戦うようになります。戦い方が変わり、城のつくりも変わっていきました。鉄砲がどれほど活躍したのかは、次の単元の長篠の戦いで出てきます。

2キリスト教の伝来 ザビエルと鹿児島(1549年)

1549年、イエズス会の宣教師、フランシスコ・ザビエルが鹿児島(今の鹿児島県)にやってきました。宣教師は、キリスト教を広める人のことです。ザビエルは日本人の案内で鹿児島に着き、鹿児島の大名の許しを得て布教を始めました。これが1549年のキリスト教の伝来で、日本にキリスト教が伝わった最初の出来事です。

国の名前が2つ出てくるので、ザビエルの立場は少しややこしく感じるかもしれません。ザビエルはスペイン生まれで、ポルトガルの王様に頼まれてアジアで布教をしていました。生まれはスペイン、アジアに来たのはポルトガルの王様の求め、という関係です。

ザビエルは日本に約2年いて、九州や京都などで布教しました。京都にも行きましたが、戦乱で天皇や将軍の力が弱まっているのを見て、引き返しています。

イエズス会の宣教師ザビエルが鹿児島に上陸した
イエズス会の宣教師ザビエルが鹿児島に上陸した

ザビエルのあとも、宣教師が次々にやってきました。宣教師たちは教会を建て、学校をつくり、病院を開きました。貧しい人たちを助ける活動もしています。

キリスト教が広まった理由は2つあります。1つは、宣教師が布教と一緒に病院や学校をつくり、人々を助けたこと。もう1つは、大名がキリスト教を守ったことで、これは次の節のキリシタン大名で出てきます。信者は大名だけでなく農民などにも広がり、九州を中心に各地で増えていきました。記述問題で理由を聞かれたら、この2つをそろえて書けると安心です。

3南蛮貿易とキリシタン大名 長崎・平戸の港とローマへの少年使節

日本の人たちは、ポルトガル人やスペイン人のことを南蛮人と呼びました。南蛮は、もともと中国で南の方の人たちを指していた言葉です。ヨーロッパの人たちは日本から見て南の方から船でやってきたので、この名前で呼ばれるようになりました。

この南蛮人との貿易が南蛮貿易です。16世紀のなかばから、最初はポルトガルの船が、のちにスペインの船も来るようになりました。貿易はおもに長崎や平戸など九州の港で行われ、どちらも今の長崎県にあります。中でも長崎は、南蛮貿易の中心の港になりました。

向き

おもな品物

日本が輸入した品物

中国産の生糸・絹織物、鉄砲・火薬、時計・ガラスなど

日本が輸出した品物

おもに銀

生糸は、絹織物の材料になる糸のことです。輸入品の中心だった生糸や絹織物は、ヨーロッパの品物ではなく中国産でした。ポルトガルの船は中国のマカオを足場にして、中国の品物を日本に運んで売り、利益をあげていたんですね。テストでは輸入品は中国産の生糸、輸出品は銀という組み合わせで出てきます。

南蛮貿易。輸入品は生糸、輸出品は銀
南蛮貿易。輸入品は生糸、輸出品は銀

宣教師の布教と南蛮貿易は、セットで行われていました。そのため九州などの大名の中には、南蛮貿易の利益もあってキリスト教を守り、自分も洗礼を受けて信者になる人が出てきます。洗礼とは、キリスト教の信者になるための儀式です。こうした大名をキリシタン大名といいます。キリシタンは、ポルトガル語で「キリスト教徒」という意味です。

よく名前が挙がるのは、今の大分県の大友宗麟、今の長崎県の大村純忠と有馬晴信です。大村純忠は最初のキリシタン大名で、長崎をポルトガルの船が来る港として開きました。小さな村だった長崎は、こうして南蛮貿易の中心の港町になっていきます。キリスト教を守った理由は人によって違い、貿易の利益もあれば、信仰を深めた大名もいました。

この3人のキリシタン大名は、宣教師のすすめで、4人の少年を使節としてヨーロッパに送りました。これが天正遣欧少年使節です。本によっては天正遣欧使節と書いてあるので、どちらで覚えても大丈夫です。使節というのは、代わりに相手のところへ送られる人たちのことです。

行き先は、カトリック教会のいちばん上のローマ教皇のところでした。少年たちは1582年に長崎を出発し、ヨーロッパを回ってローマ(今のイタリア)にたどり着きます。教皇に会い、各地で大歓迎を受けました。8年ほどたって帰国したときには、ヨーロッパの印刷機なども持ち帰っています。ただ、そのころには日本の様子が変わっていました。そのお話は、もう少し先の単元で出てきます。

まとめ 鉄砲とキリスト教を南蛮貿易がつなぐ

この単元の流れを一本の線でつなぐと、こうなります。

ポルトガルが東アジアの海へ → 1543年 ポルトガル人を乗せた中国の船が種子島に流れ着き、鉄砲が伝わる → 堺などで大量に作られ、戦い方や城のつくりが変わる → 1549年 ザビエルが鹿児島でキリスト教を伝える → 宣教師の活動と大名の保護で、信者が九州を中心に増える → 長崎・平戸の南蛮貿易で、中国産の生糸を輸入し銀を輸出する → キリシタン大名が生まれ、天正遣欧少年使節をローマ教皇のもとへ送る

鉄砲は戦い方を変え、キリスト教は信者とキリシタン大名を生みました。この2つを結びつけていたのが南蛮貿易です。次の単元では、この鉄砲を大量に使い、キリスト教を保護した織田信長が登場します。

年表

年

出来事

場所

1543年

ポルトガル人を乗せた中国の船が流れ着き、鉄砲が伝わる

種子島(今の鹿児島県)

1549年

イエズス会の宣教師ザビエルが上陸し、キリスト教を伝える

鹿児島(今の鹿児島県)

用語のまとめ

用語

種類

意味

鉄砲(火縄銃)

武器

1543年に種子島に伝わった武器。火のついた縄で火薬に火をつけて玉を撃ち出す

種子島

場所

九州の南にある島(今の鹿児島県)。ポルトガル人を乗せた中国の船が流れ着いた

ポルトガル人

人々

種子島に鉄砲を伝えた人たち。南蛮人の中心

種子島時尭

人物

種子島の領主。鉄砲を2丁買い、家来に作り方や撃ち方を学ばせた

堺

場所

鉄砲の一大産地になった町(今の大阪府)

戦国大名

人々

自分の力で国を治めていた大名。鉄砲を競って買い求めた

キリスト教

宗教

1549年にザビエルが日本に伝えた宗教

ザビエル

人物

スペイン生まれの、イエズス会の宣教師。1549年に鹿児島に上陸した

イエズス会

団体

ザビエルが属したカトリックの団体。アジアでの布教に力を入れた

宣教師

人

キリスト教を広める人。教会・学校・病院もつくった

南蛮人

人々

ポルトガル人やスペイン人のこと。南の方からやってきたので、こう呼ばれた

南蛮貿易

貿易

南蛮人との貿易。おもに長崎・平戸など九州の港で行われた

長崎

場所

南蛮貿易の中心になった港(今の長崎県)。大村純忠が港として開いた

生糸

品物

絹織物の材料になる糸。南蛮貿易のおもな輸入品で、中国産だった

銀

品物

南蛮貿易で日本がおもに輸出した品物

キリシタン大名

人々

キリスト教を守り、自分も洗礼を受けて信者になった大名。大友宗麟・大村純忠・有馬晴信など

天正遣欧少年使節

人々

九州の3人のキリシタン大名が、宣教師のすすめでローマ教皇のもとへ送った4人の少年

ローマ教皇

人物

カトリック教会のいちばん上の人。天正遣欧少年使節が会いに行った

よくある間違い

ポルトガル人を乗せていたのは、中国の船です。 鉄砲を伝えたのはポルトガル人ですが、乗っていた船は中国の船でした。「だれが」と「何の船で」を分けて答えるところが、ひっかけになりやすい問題です。

鉄砲は種子島、キリスト教は鹿児島です。 どちらも今の鹿児島県なので、場所がまざりがちです。ポルトガル人が流れ着いたのは種子島、ザビエルが上陸したのは鹿児島と、人と場所を組みにして覚えると区別できます。

伝わった順番は、鉄砲が先です。 鉄砲が1543年、キリスト教が1549年で、間は6年です。並べかえ問題では、この順番がそのまま問われます。

ザビエルの生まれはスペインです。 アジアに来たのはポルトガルの王様に頼まれたからで、生まれた国とは別です。答案に「スペイン生まれのイエズス会の宣教師」と書ければ、どちらの国の話か迷いません。

南蛮貿易の輸入品の生糸は、中国産です。 ヨーロッパの品物だけを買っていたわけではありません。ポルトガルの船が、中国の品物を日本に運んでいました。輸出品のほうは、銀と答えます。

南蛮貿易の港として答えるのは、長崎と平戸です。 堺は鉄砲の産地として出てくる町です。「鉄砲の産地は堺」「南蛮貿易の港は長崎・平戸」と、役割で分けておくと取り違えません。

キリシタン大名がキリスト教を守った理由は、1つに決めつけられません。 南蛮貿易の利益もありましたが、信仰を深めた大名もいました。記述では「南蛮貿易の利益もあってキリスト教を保護した」と書けば十分です。

天正遣欧少年使節を送ったのは、九州のキリシタン大名です。 すすめたのは宣教師で、行き先はローマ教皇のところでした。誰が、誰のすすめで、誰のところへ送ったのかがセットで問われます。

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大まかな流れをつかみたいときはアニメーション編を、理由まで知りたいときは詳細解説編の動画を見てください。

重要語句 種子島、ザビエル、南蛮貿易、キリシタン大名、天正遣欧少年使節

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