解説
織田信長と豊臣秀吉が天下統一を進めていたころ、城の中は金色にかがやく絵で飾られました。ところが同じ時代に、たった2畳の小さな茶室も生まれています。正反対に見える2つがなぜ同じ時代にそろったのか、城・絵・茶・踊りとそこにかかわった人物を組にして整理していきます。
桃山文化が生まれた背景 大名と豪商(信長・秀吉の時代)
信長と秀吉が政治を動かした時代を、安土桃山時代といいます。「安土」は信長が城を築いた場所の名前です。「桃山」のほうは、秀吉の城があった京都の伏見が、のちに桃山とよばれるようになったことから来ています。この時代に生まれた文化が桃山文化です。
文化を支えたのは、新しく力をもった大名と、貿易などで富をたくわえた大商人でした。この大商人を豪商とよびます。天下統一の争いを勝ち抜いていく大名と、商売でもうけを手にした豪商。その勢いとお金の力を背景に、豪華で力強い文化が生まれました。教科書によっては「豪壮」「華麗」という言葉で説明しています。
前の時代とくらべると、特徴がよく見えてきます。室町時代までの文化は、仏教の影響が強いものでした。それに対して桃山文化は、現実的で、人間を中心にした文化だと説明されます。ヨーロッパから入ってきた南蛮文化の影響を受けているのも、この文化の特徴です。
1豪華な城と絵 天守閣・姫路城と狩野永徳
信長や秀吉のころ、高い天守閣と、がっしりした石垣をもつ城が各地に建てられました。天守閣は、城の中心に建ついちばん高い建物のことで、天守ともいいます。わざわざ高く立派に建てたのは、城を治める大名の力を、まわりの人たちに見せつけるためでした。
信長が築いた安土城の天守は、中を金色の絵で飾った建物で、このあとの城のお手本になったとされます。秀吉が築いた大阪城にも、大きな天守閣がそびえていました。
この時代の城のつくりを今に伝えているのが、今の兵庫県にある姫路城です。白い壁が美しい城で、大天守などが国宝になっていて、世界遺産にも登録されています。ただし、いま見られる天守閣が完成したのは江戸時代のはじめです。「この時代の城のつくりを伝える城」という覚え方なら、時期がずれません。
城の広い部屋や大名の屋敷の中は、ふすまや壁、屏風に描かれた絵で飾られました。こうした絵を障壁画といいます。金箔を使った金色の背景に、濃い色でくっきりと描くのが特徴です。
障壁画の代表的な絵師が狩野永徳です。永徳は狩野派という絵師の一門の人で、信長や秀吉に仕え、安土城や大阪城のふすまや壁の絵を手がけました。その代表作が唐獅子図屏風です。金色の雲がたなびく山の間を、中国風の獅子である唐獅子が2頭、ゆったりと歩いています。高さはおよそ2.2メートル、横幅はおよそ4.5メートルあり、画面いっぱいに力強く描かれた屏風です。

2茶の湯とわび茶 千利休
茶の湯は、お茶をたてて客をもてなすことです。この時代の茶の湯は、大名や豪商が集まって交流する大事な場にもなっていました。
その茶の湯で活躍したのが千利休です。利休は、今の大阪府にあった商人の町、堺の商人の家に生まれた茶人で、信長や秀吉に仕えました。
利休が完成させたのがわび茶です。飾りを抑え、静かで簡素なところに美しさを見いだす茶の湯のことをいいます。この茶の湯には、利休より前の茶人たちが受けついできた流れがありました。利休はそれをまとめあげて完成させたので、教科書では「大成した」と書かれます。テストでは千利休がわび茶を大成したという組み合わせで問われます。
利休がつくったとされる茶室には、わずか2畳の小さなものが残っています。入口が狭く、体をかがめないと中に入れないつくりです。
一方で秀吉は、金ぴかで組み立て式の、黄金の茶室を使ったといわれています。実物は残っておらず、今あるのは各地で復元されたものです。金色の茶室と、2畳の小さな茶室。豪華なものと静かで簡素なものが同じ時代に並んでいたところに、桃山文化のおもしろさがあります。
利休は最後に、秀吉の怒りにふれて切腹を命じられました。その理由にはいくつかの説があり、はっきりとはわかっていません。

3南蛮文化と庶民の芸能 南蛮人と出雲の阿国(かぶき踊り)
当時の日本では、ポルトガル人やスペイン人のことを南蛮人とよんでいました。No.39 で見た南蛮貿易をきっかけに、南蛮人や宣教師が日本へ来るようになります。その人たちが伝えたヨーロッパの文化が南蛮文化です。
身近なところでは、パン・カステラ・タバコといった言葉が、品物といっしょに入ってきました。どれもポルトガル語などがもとになったとされる言葉で、今でもふつうに使われています。
技術の面では、ヨーロッパ式の活字印刷が伝わりました。ヨーロッパに送られた少年たちの使節が帰国したとき、いっしょに印刷機がもたらされたのです。この印刷機で、ローマ字の本や『平家物語』などが印刷されました。
絵の面では、南蛮屏風が日本の絵師たちの手でたくさん作られています。港に着いた南蛮船や、上陸する南蛮人・宣教師のようすを、金色の背景に描いた屏風です。
外から入ってきた文化は、ヨーロッパのものだけではありません。秀吉が朝鮮に兵を送ったとき、大名たちが朝鮮の陶工を日本に連れ帰りました。今の佐賀県の有田焼などの焼き物は、この陶工たちによって始まります。
新しい楽しみは、大名や豪商だけのものにとどまりませんでした。江戸時代のはじめごろ、京都で、出雲の出身といわれる女性、出雲の阿国がかぶき踊りを始めます。出雲は、今で言うと島根県です。秀吉が亡くなったあとの出来事なので、時期には気をつけてください。
阿国は男の人の格好をして、長い刀を肩にかついだ姿で踊ったといわれています。この新しい踊りは京都の町で評判になり、多くの見物人を集めました。阿国のかぶき踊りは、今の歌舞伎のもとになっています。
音楽では三味線が生まれました。琉球(今の沖縄県)から伝わった楽器をもとに作られた弦楽器で、物語を語る浄瑠璃の伴奏にも使われるようになります。こうして庶民の間にも、芸能や娯楽が広がっていきました。

まとめ 豪華な文化と、暮らしに根ざした文化
分野と人物を組にすると、桃山文化はこう整理できます。城は姫路城(今の兵庫県)、絵は狩野永徳の唐獅子図屏風、茶は千利休のわび茶、踊りは出雲の阿国のかぶき踊り。ポルトガル人やスペイン人を通してヨーロッパから入ってきたのが、南蛮文化でした。
大名と豪商の経済力を背景に、豪華で力強い文化が生まれ、南蛮文化も取り入れられました。その一方で、わび茶やかぶき踊りのように、暮らしに根ざした文化も広がっています。金色の屏風と2畳の茶室は、この2つの面をそれぞれ映し出したものだと考えると、桃山文化の全体がつかめます。
年表
この単元には、テストで覚える年号がありません。時期の順番だけ押さえれば十分です。
時期 | 出来事 |
|---|---|
信長・秀吉の時代 | 安土城や大阪城に、高い天守閣をもつ城が建てられる |
信長・秀吉の時代 | 狩野永徳が、城のふすまや壁に障壁画を描く |
信長・秀吉の時代 | 千利休が、わび茶を大成する |
16世紀の後半から | 南蛮文化が広がる(パン・カステラ・タバコの言葉、活字印刷、南蛮屏風) |
用語のまとめ
用語 | 種類 | 意味 |
|---|---|---|
桃山文化 | 文化 | 信長・秀吉の時代に、大名と豪商の経済力を背景に生まれた、豪華で力強い文化 |
安土桃山時代 | 時代 | 信長と秀吉が政治を動かした時代 |
豪商 | 人々 | 貿易などで大きな富を手にした大商人。大名とともに桃山文化を支えた |
天守閣 | 建物 | 城の中心に建つ高い建物。大名の力を見せつけた |
姫路城 | 城 | 今の兵庫県にある城。この時代の城のつくりを今に伝える。国宝・世界遺産 |
障壁画 | 絵 | ふすま・壁・屏風などに描かれた絵。金色の背景に濃い色で描いた |
狩野永徳 | 人物 | 狩野派の絵師。信長・秀吉に仕え、城のふすまや壁に障壁画を描いた |
唐獅子図屏風 | 作品 | 狩野永徳の代表作。金色の背景に2頭の唐獅子を描いた屏風 |
茶の湯 | 芸能 | お茶をたてて客をもてなすこと。大名や豪商の交流の場になった |
千利休 | 人物 | 堺(今の大阪府)の商人の家に生まれた茶人。信長・秀吉に仕え、わび茶を大成した |
わび茶 | 茶の湯 | 飾りを抑え、静かで簡素なところに美しさを見いだす茶の湯 |
南蛮人 | 人々 | 当時の日本で、ポルトガル人やスペイン人をさしたよび名 |
南蛮文化 | 文化 | 南蛮人や宣教師が伝えたヨーロッパの文化。パン・カステラ・タバコ、活字印刷など |
南蛮屏風 | 作品 | 港に着いた南蛮船や南蛮人のようすを、日本の絵師が描いた屏風 |
出雲の阿国 | 人物 | 出雲(今の島根県)の出身といわれる女性。江戸時代のはじめごろ、京都でかぶき踊りを始めた |
かぶき踊り | 芸能 | 出雲の阿国が始めた踊り。今の歌舞伎のもとになった |
三味線 | 楽器 | 琉球(今の沖縄県)から伝わった楽器をもとに作られた。浄瑠璃の伴奏に使われた |
よくある間違い
唐獅子図屏風を描いたのは狩野永徳です。 人物と作品を入れかえた選択肢は、組み合わせ問題の定番のひっかけです。城は姫路城、絵は狩野永徳、茶は千利休、踊りは出雲の阿国と、分野ごとに一人ずつ結びつけます。
千利休がわび茶にしたことは「大成」です。 利休より前の茶人たちが続けてきた流れを、利休が完成させました。記述問題なら「わび茶を大成した(完成させた)」と書けば正解になります。
出雲の阿国のかぶき踊りは、秀吉が亡くなったあとの出来事です。 習うのは桃山文化の単元でも、時期は江戸時代のはじめごろ。並べかえ問題では、安土城や大阪城よりあとに来ます。
答案に書く語は「かぶき踊り」です。 出雲の阿国が始めたのはかぶき踊りで、それが今の歌舞伎のもとになりました。阿国とセットで問われるのは、こちらの語です。
かぶき踊りと三味線は、別々に覚えます。 阿国の舞台を描いた屏風を見ると、伴奏は笛や鼓、太鼓で、三味線は描かれていません。三味線は、琉球から伝わった楽器をもとに作られ、浄瑠璃の伴奏に使われた楽器です。
南蛮人は、ポルトガル人とスペイン人の両方をさすよび名です。 当時の日本でのよび方なので、国の名前で問われたら2つとも書けるようにしておくと安心です。
利休が切腹を命じられた理由は、はっきりしていません。 いくつかの説があります。テストで答えるのは「秀吉の怒りにふれて切腹を命じられた」までです。
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城・絵・茶・踊りの組み合わせをざっと確かめたいときはアニメーション編を、なぜこういう文化になったのかまで知りたいときは詳細解説編の動画を見てください。
重要語句 天守閣、姫路城、狩野永徳、千利休、出雲の阿国