解説
江戸幕府は大名をきまりでおさえる一方で、人口の大部分をしめる百姓や町人も、身分のしくみで治めていました。百姓が納めた米が、どんな道すじで幕府や藩まで届いたのかをたどると、村のしくみがひと続きで見えてきます。テストでよく問われるのは、本百姓と水のみ百姓の違いと、庄屋(名主)・五人組の役目です。
大名の次は、ふつうの人々 刀狩から続く身分のしくみ
前の回では、江戸幕府が大名をどうおさえたのかを見ました。今回は、大名ではないふつうの人々の治め方です。
もとになったのは、豊臣秀吉の時代の政策でした。秀吉は刀狩で百姓から武器を取り上げ、武士と百姓を分けました。これを兵農分離といいます。江戸時代の身分のしくみはこの流れの続きで、一度に決まったのではなく、江戸時代の初めごろから少しずつ形が整っていきました。
1江戸時代の身分 武士と、百姓・町人
江戸時代の人々は、おもに武士と、百姓・町人という身分に分かれていました。身分とは、社会の中での立場の分け方のことです。身分ごとに、住む場所や仕事、果たさなければならない役目(負担)が決められていて、身分は基本的に親から子へ受け継がれました。
武士は、人々を支配する身分です。大名の城のまわりにできた城下町に住み、仕えている大名などの主君から、給料として米を受け取っていました。武士にだけ認められたのが苗字・帯刀、つまり苗字を名乗ることと刀を差すことです。腰に差した2本の刀が、武士の目印でした。
もっとも、人数で見ると武士はごく一部です。人口の大部分をしめていたのは百姓で、少ない武士がたくさんの百姓を治める形になっていました。
百姓は、おもに村に住んだ人々です。多くは農業をしていましたが、海の近くで漁業をする人や、山の村で林業をする人も百姓にふくまれます。町人は、城下町などの町に住んだ商人や職人のことです。百姓と町人は住む場所で分かれていて、村に住むのが百姓、町に住むのが町人でした。
2村の暮らしとしくみ 本百姓と水のみ百姓、年貢、庄屋(名主)と五人組
村の百姓は、田畑をもっているかどうかで2つに分かれます。
本百姓は、田畑や屋敷をもち、年貢を納める百姓です。秀吉の太閤検地で、田畑とそこを耕す百姓が検地帳に登録されたことを思い出してください。検地帳に登録され、年貢を納める百姓が村の正式な一員として扱われ、村の話し合いや運営にも加わりました。
水のみ百姓は、田畑をもたない百姓です。ほかの人の田畑を借りて耕したり、出かせぎや日雇いで働いたりして暮らし、村の政治には参加できませんでした。田畑を手に入れて本百姓になる人もいて、その逆もありました。
百姓が納める税が年貢で、おもに米で納めました。収穫のうち4割から5割ほどを納めることが多かったといわれていますが、実際の割合は土地や年の実りぐあい、地方によって違いました。この年貢が、幕府や藩の財政、つまりお金のやりくりを支えていました。
では、年貢はだれが集めたのか。武士は城下町に住んでいて、村にはいません。そこで幕府や藩は、村の有力な本百姓を村役人にして、村をまとめさせました。役人という名前でも、村役人は百姓の身分です。
村役人の中心が、村の長である庄屋(名主)です。おもに西日本では庄屋、東日本では名主とよぶことが多く、どちらも同じ村の長をさします。庄屋を助ける組頭、村人の代表の百姓代とあわせて、年貢を割り当てて集めたり、幕府や藩からのお知らせを村に伝えたりしました。年貢は村ごとにまとめて納めるしくみで、そのとりまとめも村役人の仕事です。
さらに幕府や藩は、近所の5軒ほどの家で五人組をつくらせました。組をつくる単位は家です。五人組には、年貢を納めることや犯罪を防ぐことについて、組全体で責任を負わせました。これが連帯責任で、1軒が年貢を納められなければ、ほかの家も責任を負わされます。ねらいは年貢をきちんと納めさせ、村の中でおたがいを見張らせることでした。日ごろの助け合いもしましたが、見張りの役割が強かったといわれています。
治められる側だった百姓にも、村の中で自分たちで決めることがたくさんありました。村の人々は田植えや稲刈りを一緒にし、用水や村みんなで使う山を共同で管理して、助け合いながら暮らしていました。村のきまりを決めたのは、寄合とよばれる村の話し合いです。幕府や藩は百姓の暮らしにも細かい決まりを出しましたが、毎日の農業は村の中の協力で回っていました。
3町の暮らし 町人と町役人
城下町などの町には、商人や職人の町人が住んでいました。町ごとに町役人がいて、町人たちが自分たちで町を運営していました。
町人の中には、自分の家や土地をもつ人と、家を借りて住む人がいて、借りて住む人もたくさんいました。町人の負担は、年貢を納める百姓にくらべると軽かったとされます。村の百姓は年貢を納め、町の町人は商売や物づくりをになう。百姓と町人の違いは、住む場所と負担の2つで説明できます。
差別された人々 百姓や町人とは別の身分とされた人々
江戸時代には、百姓や町人とは別に、えた身分、ひにん身分とされた人々がいました。この人々は、農業をして年貢を納めたほか、牛や馬の皮を加工する仕事や役人の下働き、芸能などで暮らし、社会や文化を支えていました。
それでも、ほかの身分の人々から厳しく差別され、村の運営や祭りにも参加できませんでした。こうした差別は江戸時代より前からあり、幕府や藩が住む場所や仕事、服装などを制限したことで、差別の意識が強まりました。
明治になって身分はなくなりましたが、差別は残り、今も解決しなければならない問題です。くわしくは明治の時代の回で学びます。
まとめ 年貢が幕府や藩に届くまでを一本の線で
身分・村・町と分けて見てきたことを、年貢の流れで一本の線にすると、こうなります。
秀吉の刀狩で武士と百姓を分ける → 武士・百姓・町人の身分ごとに、住む場所と役目が決まる → 村では本百姓が年貢を用意し、五人組で連帯責任を負う → 村役人(庄屋・組頭・百姓代)が村ごとにまとめて納める → 年貢が幕府や藩の財政を支える
身分ごとに役目と負担が決められ、とくに村の百姓が納める年貢が幕府や藩を支えていました。このしくみが、長く続く江戸時代の土台になっていきます。
用語のまとめ
用語 | 種類 | 意味 |
|---|---|---|
武士 | 身分 | 人々を支配する身分。城下町に住み、苗字・帯刀が認められた |
百姓 | 身分 | おもに村に住んだ人々。多くは農業をし、漁業や林業をする人もふくむ。人口の大部分をしめた |
町人 | 身分 | 城下町などの町に住んだ商人や職人 |
苗字・帯刀 | 特権 | 苗字を名乗ることと刀を差すこと。武士だけに認められた |
本百姓 | 百姓 | 田畑や屋敷をもち、年貢を納める百姓。村の運営に加わった |
水のみ百姓 | 百姓 | 田畑をもたない百姓。村の政治には参加できなかった |
年貢 | 税 | 百姓が納める税。おもに米で納め、幕府や藩の財政を支えた |
村役人 | 役職 | 村をまとめた有力な本百姓。庄屋(名主)・組頭・百姓代。武士ではない |
庄屋(名主) | 役職 | 村の長。おもに西日本で庄屋、東日本で名主とよんだ |
五人組 | 組(しくみ) | 近所の5軒ほどの家でつくらせた組。年貢の納入や犯罪の防止に連帯責任を負わされた |
連帯責任 | しくみ | 組の1軒の責任を、組全体で負うこと |
寄合 | 話し合い | 村のきまりを決めた、村の人々の話し合い |
町役人 | 役職 | 町ごとに置かれ、町の運営にあたった町人 |
差別された人々 | 人々 | 百姓や町人とは別の身分とされ、社会や文化を支えながら、厳しく差別された人々 |
よくある間違い
本百姓と水のみ百姓は、田畑で見分けます。 田畑をもち年貢を納めるのが本百姓、田畑をもたないのが水のみ百姓です。村の政治に参加できなかったのは水のみ百姓のほうで、ここがひっかけになります。
庄屋と名主は、同じ村の長です。 地域によって呼び方が違うだけで、別々の役ではありません。おもに西日本で庄屋、東日本で名主とよびました。
村役人は百姓の身分です。 「役人」という名前につられて武士と書くまちがいが出やすいところです。庄屋・組頭・百姓代は、村の有力な本百姓から選ばれました。
五人組は、近所の5軒ほどの家で組みました。 記述問題では「年貢の納入や犯罪の防止に連帯責任を負わせた」まで書けると、答えとして十分です。
漁業や林業をする村の人も、百姓です。 百姓と町人は、村に住むか町に住むかで分かれていました。
年貢は、村ごとにまとめて納めました。 並べかえ問題では「本百姓が年貢を用意する → 村役人がとりまとめる → 幕府や藩に納める」の順が問われます。
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重要語句 本百姓、水のみ百姓、庄屋、五人組、年貢