中学社会・歴史・近世の日本・No.46

朱印船貿易から「鎖国」へ

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解説

江戸時代のはじめ、幕府は日本の船が海外へ出かけて貿易することを後押ししていました。ところが40年ほどの間に、日本人は海外へ行けなくなり、ヨーロッパの国で日本に来られるのはオランダだけになります。貿易をすすめていた幕府が、なぜしぼる側に回ったのか。その答えを、キリスト教と貿易の2本の線で追っていきます。

外国の船がやって来た時代

戦国時代の後半から、ポルトガルやスペインの船が日本に来て、南蛮貿易をしていました。宣教師もいっしょにやって来て、キリスト教を広めていきます。

江戸時代に入ると、そこにオランダやイギリスの船も加わりました。外国の船が次々に来航し、外国との行き来がとても活発だった時代です。

1はじめは貿易に積極的 朱印船貿易と日本町(江戸時代のはじめ・東南アジア)

江戸幕府を開いた徳川家康は、外国との貿易にとても積極的でした。家康は、海外へ行く日本の船に朱印状を与えます。朱印状は、幕府が海外へ行くことを認めた渡航の許可証で、朱色の印が押してあることからこう呼ばれました。

朱印状をもった船が朱印船で、朱印船による貿易が朱印船貿易です。朱印状は紙、朱印船は船。「状」と「船」の字を書き分けられるかが、テストでよく試されます。

朱印船を出したのは、西日本の大名や、京都・堺・長崎の商人たちでした。行き先は東南アジアで、ルソン(今のフィリピン)、今のベトナムやカンボジア、シャム(今のタイ)などへ向かいました。日本からはおもに銀を持って行き、中国産の生糸や絹織物などを買って帰ります。輸出は銀、輸入は生糸・絹織物という組み合わせです。

朱印船貿易。輸出品は銀、輸入品は生糸
朱印船貿易。輸出品は銀、輸入品は生糸

朱印船で東南アジアへ渡った日本人の中には、そのまま現地に住みつく人もいました。こうして各地にできた日本人の町が日本町です。

日本町で活躍した人物として名前が残っているのが山田長政です。長政はシャムの都アユタヤにあった日本町のリーダーになり、シャムの国王に仕えて高い位ももらいました。山田長政・アユタヤ・日本町の3つは、セットで問われることが多い組み合わせです。

2キリスト教を禁止する 禁教令と絵踏

貿易がさかんになると、宣教師による布教も続き、キリスト教の信者(キリシタン)が増えていきました。幕府はこれを警戒します。キリスト教の教えが、身分のちがいをもとにした幕府の支配のしくみに合わないと考えられたからだ、といわれています。

そこで幕府が出したのが、キリスト教を信じることを禁止した禁教令です。1612年に幕府の直轄地(幕府が直接おさめている土地)で、翌年には全国でキリスト教を禁止しました。教会はこわされ、宣教師や信者は国外へ追い出されます。

ここで思い出したいのが、豊臣秀吉のバテレン追放令です。秀吉は宣教師を国外へ追い出す命令を出しましたが、南蛮貿易は続けていたので、取りしまりは徹底しませんでした。江戸幕府の禁教令は、信じることそのものを禁止した点がちがいます。「宣教師だけか、信じることそのものか」の差は、記述問題で聞かれやすいところです。

禁教令のあとも、かくれてキリスト教を信じ続ける人たちがいました。幕府はキリシタンを見つけ出すために、キリストやマリアの像を人々に踏ませます。心から大切にしているものは、足で踏むことがなかなかできません。踏めるかどうかで、キリシタンでないことを確かめたのです。

この踏ませることを絵踏といい、そのとき踏ませた像や板のほうを踏絵といいます。2つの語は字の順番が逆になっているだけなので、ひっかけ問題の定番です。

絵踏。像を踏めるかどうかで、キリシタンでないことを確かめた
絵踏。像を踏めるかどうかで、キリシタンでないことを確かめた

さらに幕府は、人々がどこかのお寺の信者であることをお寺に証明させる寺請制度もつくっていきました。お寺を使って、キリシタンでないことを確かめさせるしくみです。

3貿易をしぼっていく 海外渡航の禁止(1635年)から出島(1641年)まで

キリスト教の禁止と並んで、幕府は貿易もしぼっていきました。一度に全部を決めたのではなく、何度かに分けて命令を出し、少しずつしぼっていったのが特徴です。

まず、ヨーロッパの船が来る港を平戸と長崎(どちらも今の長崎県)に限りました。このあと将軍は、参勤交代を制度にしたことで知られる3代将軍徳川家光に代わります。家光のもとで、スペイン船の来航が禁止されました。

そして1635年、幕府は日本人が海外へ行くことと、海外にいる日本人が帰国することを禁止します。これが1635年の海外渡航の禁止です。朱印船はもう出せなくなり、朱印船貿易は終わりました。日本人が行き来できなくなったため、東南アジアの日本町もしだいにおとろえていきます。

2年後の1637年、島原(今の長崎県)と天草(今の熊本県)で一揆が起こりました。1637年の島原・天草一揆です。原因は2つありました。1つは凶作の中での重い年貢、もう1つはキリシタンへのきびしい取りしまりです。

この2つに苦しんだ農民などの人々は、16歳ほどだったといわれる少年天草四郎(益田時貞)を大将にして、原城という古い城あとにたてこもりました。幕府は大軍を送って、この一揆をおさえます。

島原・天草一揆は幕府に強い衝撃を与え、キリスト教の禁止はいっそうきびしくなりました。1639年、幕府は、貿易といっしょにキリスト教を広めてきたポルトガルの船が来ることを禁止します。これが1639年のポルトガル船の来航禁止です。

長崎の港には、扇の形をした人工の島がつくられていました。もとはポルトガル人を日本の人々から引き離して住まわせるための島で、これが出島です。1641年、幕府は平戸にあったオランダ商館を、ポルトガル人がいなくなった出島へ移させました。これが1641年、オランダ商館を出島へです。

オランダが残れたのは、キリスト教を広めることはせず、貿易だけをするとして幕府に許されたからです。こうしてヨーロッパの国では、オランダだけが長崎の出島で貿易を続けることになりました。中国の船も、長崎で貿易を続けています。ポルトガルとオランダの分かれ目は、「キリスト教を広めるかどうか」です。

まとめ 年の順に一本の線でつなぐ

朱印船貿易(江戸時代のはじめ) → 禁教令 → 1635年 海外渡航の禁止 → 1637年 島原・天草一揆 → 1639年 ポルトガル船の来航禁止 → 1641年 オランダ商館を出島へ

こうして貿易の相手と場所を幕府がしぼっていった政策は、のちに「鎖国」と呼ばれます。この呼び名は政策が始まったときの言葉ではなく、ずっとあとの江戸時代の後半になってから使われるようになりました。

ねらいは2つありました。1つ目は、キリスト教を広めないこと。2つ目は、貿易と海外の情報を幕府がにぎり、西日本の大名などが貿易で力をつけないようにすることです。記述問題では、キリスト教の話だけで終わらせず、2つをそろえて書くと点になります。

ただ、外国とのつながりが全部なくなったわけではありません。「鎖国」の中でも開いていた窓口があり、それが次のテーマです。

年表

年

出来事

ポイント

1635年

日本人の海外渡航・帰国を禁止する(朱印船貿易が終わる)

貿易

1637年

島原・天草一揆が起こる

キリスト教・年貢

1639年

ポルトガル船の来航を禁止する

貿易・キリスト教

1641年

平戸のオランダ商館を長崎の出島へ移す

貿易

用語のまとめ

用語

種類

意味

朱印状

書状

幕府が海外へ行く日本の船に与えた渡航の許可証

朱印船貿易

貿易

朱印状をもった日本の船(朱印船)による東南アジアとの貿易。輸出は銀、輸入は生糸・絹織物

日本町

町

朱印船で渡った日本人が東南アジア各地に住みついてできた町

山田長政

人物

シャム(今のタイ)の都アユタヤの日本町のリーダー。シャムの国王に仕えた

禁教令

命令

江戸幕府がキリスト教を信じることを禁止した命令

絵踏

行い

キリストやマリアの像を踏ませ、キリシタンでないことを確かめたこと

踏絵

像・板

絵踏のときに踏ませたキリストやマリアの像

寺請制度

しくみ

どこかのお寺の信者であることをお寺に証明させ、キリシタンでないことを確かめたしくみ

海外渡航の禁止

命令

1635年、日本人の海外渡航と帰国を禁止した。朱印船貿易が終わった

島原・天草一揆

一揆

1637年、重い年貢とキリシタンへの取りしまりに苦しんだ島原・天草の人々が起こした一揆

天草四郎

人物

島原・天草一揆の大将になった少年。益田時貞ともいう

ポルトガル船の来航禁止

命令

1639年、キリスト教を広めてきたポルトガルの船が来ることを禁止した

出島

場所

長崎の港につくられた扇形の人工の島。1641年からオランダ商館が置かれた

オランダ商館

組織

オランダの貿易の拠点。1641年に平戸から出島へ移された

「鎖国」

呼び名

貿易の相手と場所を幕府がしぼった政策の、のちの呼び名

よくある間違い

朱印状と朱印船は、紙と船のちがいです。 渡航の許可証が朱印状、それをもって海外へ出た船が朱印船。答案で「状」と「船」を書きまちがえると点になりません。

踏ませる行いが絵踏、踏ませた像が踏絵です。 「〜を行った」と書くなら絵踏のほうを使います。

秀吉のバテレン追放令と江戸幕府の禁教令は、禁止した範囲で見分けます。 バテレン追放令は宣教師を追い出す命令で、貿易は続けました。禁教令は、キリスト教を信じることそのものを禁止しています。

島原・天草一揆の原因は2つそろえて書きます。 重い年貢と、キリシタンへのきびしい取りしまりです。片方だけでは記述問題で満点になりません。

出島で貿易を続けたのは、ヨーロッパの国ではオランダだけです。 「ヨーロッパの国では」を落とすと、長崎で貿易を続けた中国の船が抜けてしまいます。

1635年と1639年は、禁止した相手で見分けます。 1635年は日本人が海外へ行くことの禁止、1639年はポルトガルの船が来ることの禁止です。並べかえ問題では、この2つと1637年の一揆の順番がよく問われます。

「鎖国」は、当時の幕府がつけた名前ではありません。 江戸時代の後半になってから使われるようになった呼び名なので、「のちに『鎖国』と呼ばれた」と書くのが正確です。

プリントと動画で確認しよう

このテーマの単語テストと問題集は、下のボタンからダウンロードできます。どちらも答えと解説がついています。

流れをざっと確かめたいときはアニメーション編を、理由までくわしく知りたいときは詳細解説編の動画を見てください。

重要語句 山田長政、禁教令、島原・天草一揆、絵踏、出島

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