中学社会・歴史・近世の日本・No.48

農業・産業の発達と三都

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解説

外国との行き来が4つの窓口にしぼられたころ、国の中では農業も交通も町も、目に見えて発達していきました。新しい田畑と道具で米がたくさんとれるようになると、その米はどの道を通って運ばれ、どこでお金にかえられたのでしょうか。村の田んぼから大阪の蔵屋敷までの道すじをたどると、この時代の産業のしくみがひと続きで見えてきます。

産業が発達した背景 平和な世の中と増える人口

戦乱が終わり、江戸時代には平和な世の中が続きました。江戸時代の前半、17世紀を通じて、人口もどんどん増えていきます。

幕府や藩の収入のもとは、百姓が納める年貢でした。年貢はおもに米で納めます。そこで幕府や藩は、年貢を増やすために田畑を広げようとしました。増えていく人口を養うためにも、新しい田畑が必要だったのです。

1農業の発達 新田開発・新しい農具・お金で買う肥料

まずは田畑そのものを増やす取り組みです。幕府や藩が中心になって、川から用水路を引いて水のなかった荒れ地を田んぼにしたり、沼や浅い海の水を抜いて田畑に変えたりしました。沼や海の水を抜いて陸地にすることを、干拓といいます。こうして新しい田畑を開いたことを新田開発とよび、開かれた田畑を新田といいます。

関東では、利根川の流れを変える工事が進められました。幕府は、江戸湾のほうへ流れていた利根川の主な流れを、銚子(今の千葉県)のほうへ変えました。江戸の東側が洪水から守られ、そこに広い水田が生まれました。

新田開発がいちばん盛んだったのは、江戸時代の前半の17世紀です。この約100年で、田畑の広さはおよそ2倍になりました。

田畑が広がったあと、江戸時代の中ごろにかけて、新しい農具も広まります。新田開発の盛んな時期と同じではなく、少しあとの話です。

備中ぐわは、刃が3本や4本に分かれたくわです。土にささりやすく、粘り気のある田でも深くまで掘り起こせます。牛や馬をもたない小さな農家でも、これで田を深く耕せるようになりました。

千歯こきは、木の台に鉄の歯をくしのように並べた道具です。刈り取った稲の穂を歯の間に通して引くと、もみ(からがついたままの米のつぶ)が落ちます。穂からもみを落とすこの作業を、脱穀といいます。それまでは2本の竹の棒で穂をはさんでしごいていたので、千歯こきで作業の速さは2倍以上になりました。

ほかにも、羽根車で風を起こしてもみとごみをより分ける唐箕や、ふるいで米のつぶをより分ける千石どおしが使われました。備中ぐわは耕す、千歯こきはもみを落とす、唐箕と千石どおしはより分ける。道具と働きの組み合わせは、選択問題でよくねらわれます。

肥料にも変化がありました。17世紀の後半から広まったのが干鰯で、イワシを干して固めてつくった、畑にまく肥料です。干鰯にするためのイワシ漁は、九十九里浜(今の千葉県の海岸)などでさかんに行われました。漁業の発展が、農業を下から支えていたわけです。

干鰯や、菜種などから油をしぼったあとの油かすは、お金を出して買う肥料でした。こうした肥料を金肥といい、とくに綿などの畑でたくさん使われました。田畑を広げ、道具を改良し、肥料を工夫したことで、米の収穫はぐんと増えていきました。

2交通の発達 陸の五街道と海の2つの航路

次は、米や品物を運ぶ道です。はじめは陸の道です。

江戸時代の初めから、幕府は江戸の日本橋を出発点にして、5本の主な道を整えていきました。これを五街道といいます。

東海道は、太平洋側を通って京都へ向かう道で、さらに大阪までのびていました。中山道は内陸の山の多いところを通り、今の滋賀県の草津で東海道に合流します。甲州道中は今の山梨県の甲府を通って、今の長野県の下諏訪で中山道に合流する道です。日光道中は今の栃木県の日光へ、奥州道中は今の栃木県の宇都宮から北へ、今の福島県の白河まで続きます。甲州道中・日光道中・奥州道中は、甲州街道のように「街道」をつけてよばれることもあります。

街道のところどころには、旅をする人が泊まったり、荷物を運ぶ人や馬を取りついだりする宿場が置かれました。大事な場所には、通る人や荷物を調べる関所もありました。五街道を使ったのは、参勤交代で江戸と領地を行き来する大名の行列や、幕府の役人などです。おもに幕府や大名の用事のための道でした。

海の道が整えられたのは、17世紀の後半です。目的は、今の東北地方や北陸地方の年貢米を、船で江戸や大阪へ運ぶことでした。

それまでも、各地の藩が使っていた航路はありました。江戸の商人の河村瑞賢は、幕府の命令で寄る港を決めるなどして、その航路を安全に、まっすぐ江戸や大阪へ行けるように整えます。

西廻り航路は、酒田(今の山形県)などの日本海側の港から日本海を西へ進み、下関(今の山口県)を回って瀬戸内海に入り、大阪へ向かう航路です。

東廻り航路も、出発は日本海側の酒田などです。こちらは北へ進んで津軽海峡を通り、太平洋側を南へ下って、房総半島(今の千葉県)を回って江戸へ入ります。日本海側から西へ回るか、東へ回るか。名前はそこから来ていると考えると、行き先の大阪と江戸を取り違えません。

大阪と江戸の間には、菱垣廻船や樽廻船という船が行き来していました。大阪から江戸へ、木綿や油、酒などの品物を運んだ船で、樽廻船はおもに酒のたるを運んでいます。江戸の人々の暮らしは、大阪から届く品物に支えられていました。

3三都と商人 江戸・大阪・京都と株仲間

陸と海の道が整うと、人や品物が集まる町が栄えました。なかでも栄えたのが江戸・大阪・京都の3つの町で、まとめて三都といいます。3つとも、幕府が直接治める町でした。

江戸は、将軍がいる政治の中心です。「将軍のおひざもと」ともよばれました。武士の屋敷が集まっていて、住む人の中に武士がとても多かったのが特徴です。18世紀のはじめごろ、町人を数えた記録に武士の推定を加えると、人口はおよそ100万人になります。当時の世界でも有数の大都市でした。

大阪には、全国の藩が蔵屋敷を置きました。蔵屋敷は、藩が年貢米や特産物を運びこんで保管し、売ってお金にかえるための倉庫と取引所です。置いたのは藩、つまり大名の側で、出入りの商人が売り買いやお金の管理を手伝いました。川ぞいに建てられていて、船で荷物をそのまま出し入れできたのも便利な点です。

各地の年貢米が大阪でお金にかわるので、大阪には全国の米や品物が集まり、商業の中心になりました。そのため大阪は、「天下の台所」とよばれています。全国の産物が集まってくる場所、という意味の呼び名です。なお、当時は土へんの「坂」を使って「大坂」と書き、明治時代以後に今の「大阪」の字になりました。

京都は、朝廷がある古い都です。西陣織という高級な絹織物などの物づくりがさかんで、学問や文化の中心でもありました。江戸は政治、大阪は商業、京都は文化と、三都はそれぞれ役割がちがいます。

町では、商人が力をつけていきました。同じ仕事をする商人や職人は、株仲間という組合をつくります。株仲間は、幕府や藩に税を納めるかわりに、その商売を独り占めする権利を認められていました。この税を冥加金といいます。仲間に入っていない人の商売は、制限されました。記述問題では、「税を納めるかわりに営業の独占を認められた」というところまで書けるようにしておきたい語です。

まとめ 田んぼの米が、大阪でお金にかわるまで

一本の線でつなぐと、こうなります。平和が続いて人口が増え、幕府や藩は新田開発で田畑を広げました。そこへ備中ぐわや千歯こきなどの農具、干鰯のようなお金で買う肥料が加わり、米の収穫が増えていきます。

その年貢米は、整えられた西廻り航路や東廻り航路を通って大阪や江戸へ運ばれ、大阪では藩の蔵屋敷でお金にかえられました。人と品物が集まった三都は栄え、町の商人は株仲間をつくって力をつけていきます。

農業、交通、町と商人を、この順番で原因と結果としてつなげて説明できれば、記述問題にも対応できます。こうして経済の力をつけた大阪や京都の町人たちが、次の単元で学ぶ元禄文化の担い手になっていきます。

年表

この単元には、テストで覚える年号がありません。時期の順番だけ押さえておけば十分です。

時期

出来事

江戸時代の初めから

幕府が、江戸の日本橋を出発点に五街道を整え始める

17世紀(江戸時代の前半)

人口が増え、新田開発が盛んになる。約100年で田畑がおよそ2倍に広がる

17世紀の後半

干鰯など、お金で買う肥料が広まる

17世紀の後半

河村瑞賢が、幕府の命令で西廻り航路・東廻り航路を整える

17世紀の後半から

大阪に、全国の藩の蔵屋敷が増えていく

江戸時代の中ごろ(18世紀)にかけて

備中ぐわ・千歯こきなどの新しい農具が広まる

用語のまとめ

用語

種類

意味

新田開発

取り組み

幕府や藩が中心になり、用水路や干拓で新しい田畑を開いたこと。江戸時代の前半の約100年で田畑はおよそ2倍に

備中ぐわ

農具

刃が3〜4本に分かれたくわ。田を深く耕せる

千歯こき

農具

稲の穂からもみを落とす(脱穀する)道具。作業の速さが2倍以上に

唐箕

農具

羽根車の風で、もみとごみをより分ける道具

干鰯

肥料

イワシを干して固めてつくった肥料。綿などの畑に多く使われた

金肥

肥料

干鰯や油かすなど、お金で買う肥料

五街道

道

江戸の日本橋を出発点にした5本の主な道。東海道・中山道・甲州道中・日光道中・奥州道中

宿場

施設(町)

街道ぞいに置かれた、旅人が泊まり、人や馬を取りついだ町

関所

施設

街道の大事な場所で、通る人や荷物を調べた所

河村瑞賢

人物

江戸の商人。幕府の命令で、西廻り航路・東廻り航路を整えた

西廻り航路

航路

日本海側の港から、下関を回って瀬戸内海を通り、大阪へ

東廻り航路

航路

日本海側の港から、津軽海峡を回って太平洋側を南へ、江戸へ

三都

都市

江戸・大阪・京都の3つの大都市。どれも幕府が直接治めた

蔵屋敷

施設

藩が大阪などに置いた、年貢米や特産物を保管して売る倉庫と取引所

天下の台所

呼び名

全国の米や品物が集まる大阪の呼び名

西陣織

織物

京都でつくられた高級な絹織物

株仲間

組合(組織)

同じ仕事の商人や職人の組合。税を納めるかわりに営業の独占を認められた

冥加金

税

株仲間が幕府や藩に納めた税

よくある間違い

西廻り航路も東廻り航路も、出発は日本海側の港です。 西へ回って下関・瀬戸内海を通れば大阪、北へ回って津軽海峡を通れば江戸。地図に線を書きこむ問題では、2本とも日本海側から引き始めます。

備中ぐわは耕す道具、千歯こきはもみを落とす道具です。 唐箕と千石どおしは、もみとごみや米のつぶをより分ける道具でした。絵を見て名前と働きを選ぶ問題が多いので、形と働きをセットにしておくと迷いません。

干鰯は、畑にまく肥料です。 「何に使われたか」を問われたら、答えは肥料。お金で買う肥料なので、金肥の例としても出てきます。

蔵屋敷を置いたのは藩(大名)です。 藩が年貢米や特産物を売ってお金にかえるための場所で、商人は出入りして売り買いを手伝う立場でした。

五街道の出発点は、江戸の日本橋です。 東海道は日本橋から京都へ向かい、さらに大阪までのびていました。

河村瑞賢は、すでに藩が使っていた航路を整えた人です。 幕府の命令で寄る港を決め、安全にまっすぐ江戸や大阪へ行けるようにしました。

新しい農具が広まったのは、江戸時代の中ごろにかけてです。 新田開発がいちばん盛んだった17世紀より少しあとなので、時期を並べる問題では新田開発が先に来ます。

天下の台所は大阪、政治の中心は江戸です。 三都の役割を問う問題では、江戸は政治、大阪は商業、京都は文化という組み合わせで答えます。

プリントと動画で確認しよう

このテーマの単語テストと問題集は、下のボタンからダウンロードできます。どちらも答えと解説がついています。

道具や航路の名前をざっと確かめたいときはアニメーション編を、航路の出発点や蔵屋敷のしくみまで知りたいときは詳細解説編の動画を見てください。

重要語句 備中ぐわ、千歯こき、干鰯、西廻り航路、蔵屋敷

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