中学社会・歴史・近世の日本・No.51

農村の変化と田沼の政治

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解説

江戸時代の中ごろ、村の暮らしにお金が入りこんできました。売るための作物をつくり、肥料を買い、もうけて土地を集める人と、借金で土地を手放す人に分かれていきます。こうした変化の中で、老中の田沼意次は、米ではなく商業の力で幕府の収入を増やそうとしました。

この単元の背景 お金で動く世の中と、米にたよる幕府

前の単元までで見たように、江戸時代の中ごろには農業や交通が発達し、たくさんの品物が各地を行き来するようになりました。8代将軍の徳川吉宗は、享保の改革で年貢の米を中心に幕府の財政を立て直そうとし、財政はいったん持ち直します。

ところが世の中のほうは、品物をお金で売り買いする方向へどんどん進んでいきました。幕府や藩の収入は、米で納める年貢が中心のままです。米にたよるこの仕組みのままでは、お金で動く世の中の変化についていけなくなっていきました。

1農村の変化 貨幣経済の広まりと商品作物・地主と小作人(18世紀)

18世紀になると、品物をお金で売り買いすることが、村の中にまで広がりました。お金を仲立ちにして品物を売り買いする経済を、貨幣経済といいます。

農村では、自分たちで食べるためではなく、売ってお金にするための作物をつくる百姓が増えました。これが商品作物です。木綿の原料になる綿や、明かりの油の原料になる菜種のほか、出羽(今の山形県)の紅花、阿波(今の徳島県)の藍がよく知られています。紅花は染め物や口紅の原料、藍は青い色に染める染め物の原料です。茶やたばこも、売るためにつくられました。紅花は山形県、藍は徳島県と、作物と産地を組にして覚えておくと地図の問題で迷いません。

綿などを育てるときには、前の単元で出てきた干鰯のような肥料を使います。こうした肥料や農具も、お金を出して買うようになりました。つくるにも売るにもお金がからむ暮らしに変わったのです。

お金がからむと、同じ村の百姓の間に差が生まれます。商品作物などでもうけた百姓は、ほかの人の土地を買い集め、それを人に貸すようになりました。これが地主です。反対に、借金などで土地を手放した百姓は、地主の土地を借りて耕すようになります。こちらを小作人といいます。

のちにききんが起きたとき、いちばん苦しんだのは土地の少ない人々でした。村の中に生まれたこの差が、百姓一揆が起こる背景になっていきます。

ものづくりのしくみも変わりました。18世紀ごろから見られるようになったのが問屋制家内工業です。品物を集めて売りさばく商人である問屋が、農民に原料や道具を前もって貸し、農民は自分の家で布などをつくります。できた製品は、問屋が買い取りました。作業する場所は、あくまで農民の家です。

19世紀になると、工場制手工業も始まります。地主や商人が作業場(工場)をつくって人を集め、仕事を分けて受け持つ分業で、手作業で製品をつくるしくみです。マニュファクチュアともよびます。今の愛知県や大阪府のあたりの綿織物などで行われました。工場といっても、使うのは手で動かす道具で、機械はまだ登場していません。

2つのちがいは、作業する場所と時期です。問屋制家内工業は農民の家で、18世紀ごろから。工場制手工業は作業場で、19世紀になってからです。

2百姓一揆と打ちこわし 農村の動きと都市の動き(18世紀)

暮らしの差が広がるなかで、苦しい立場の人々は、集団で声をあげるようになりました。

農村で起きたのが百姓一揆です。百姓が村ごとに団結して、領主や代官に、年貢を減らすことや不正をする村役人をやめさせることを求め、集団で訴えました。ときには強く押しかけることもありました。百姓一揆は18世紀、享保の改革のころから増え、ききんのあとにとくに多くなります。

一揆のときには、からかさ連判状が使われることもありました。円をえがき、そのまわりに、かさを開いたような形で名前を書いた文書です。こう書けば、だれが中心になったのかわからなくなります。リーダーを守るための書き方でした。

都市で起きたのが打ちこわしです。ききんなどで米が足りなくなると、米の値段が上がります。すると、江戸や大阪などの都市の貧しい人々が、米を買い占めて値段をつり上げた米商人などの家を、集団でこわしました。

この2つは、だれが・どこで・だれに向けて起こしたかで区別します。百姓一揆は、百姓が農村で領主に向けて。打ちこわしは、都市の貧しい人々が都市で米商人などに向けて。求めたことでいえば、百姓一揆は「年貢を減らせ」、打ちこわしは「米をよこせ」と覚えると整理しやすくなります。

3田沼意次の政治 商業の力で幕府の収入を増やす(18世紀の後半)

このあと将軍は、10代の徳川家治になります。この家治のもとで、18世紀の後半に老中になったのが田沼意次です。老中は、将軍のもとで幕府の政治を担当する、いちばん上の役職でした。田沼は将軍の側近から出世して、老中にまでなっています。

8代将軍の吉宗が年貢の米を中心に立て直そうとしたのに対し、田沼は商人の力、つまりお金の力を利用して幕府の収入を増やそうとしました。年貢の米だけでは、お金で動く世の中についていけなくなっていたからです。米の吉宗と商業の田沼は、テストでよく比べられる組み合わせです。

田沼の政治の中心は、株仲間です。株仲間は、商人や職人が同じ商売の仲間でつくった組合でした。株仲間を認めること自体は享保の改革のころから行われていましたが、田沼はこれをたくさん認めます。営業を独り占めさせるかわりに税を納めさせ、幕府の収入にしたのです。これを株仲間の奨励といいます。奨励は「すすめる」という意味で、記述問題では「株仲間をたくさん認めて、税を納めさせた」まで書けるようにしておきましょう。

田沼はほかにも、いくつかの政策を進めました。まず長崎貿易を盛んにし、銅や、干したナマコ・アワビなどの海産物の輸出を増やして、そのかわりに金や銀を手に入れようとしています。

今の千葉県にある印旛沼では、干拓(沼や海の水を抜いて、新しい田畑をつくること)に取りかかりました。商人のお金も使って工事を進めましたが、洪水で工事がこわれ、田沼が老中を辞めると中止になります。

蝦夷地(今の北海道)では、開発を計画して調査をさせました。ロシアが北から近づいていることも、このころ知られ始めていました。こちらも田沼が老中を辞めたことで、調査の途中で中止になっています。

こうした政治で、商業は活発になりました。その一方で商人と役人の結びつきが強まり、役人の間でわいろが広がったと批判されるようになります。ただ、田沼の悪い評判には、失脚したあとのうわさや、反対した人たちの見方も多くふくまれているといわれています。そのため今では、お金が動く時代に合わせようとした政治として見直されてもいます。

田沼の政治の終わり 天明のききんと田沼の失脚

1780年代、天明とよばれるころに、天明のききんが起こりました。中心の原因は冷害で、夏になっても気温が上がらず、作物が育たない年が続きます。そこへ、今の群馬県と長野県の境にある浅間山の大噴火も重なり、被害がさらに広がりました。東北地方を中心に、たくさんの人が飢えや病気で亡くなっています。

食べ物が足りなくなると、米の値段が上がります。農村では百姓一揆が、都市では打ちこわしが各地で起こり、幕府や田沼への批判が強まっていきました。

さらに、田沼の息子が江戸城の中で切られて亡くなる事件が起き、田沼の勢いは弱まります。そして将軍の家治が亡くなると、田沼は老中を辞めさせられました。進めていた政策の多くも、このとき取りやめになっています。

まとめ お金が村に広がってから、田沼が老中を辞めるまで

一本の線でつなぐと、こうなります。貨幣経済が農村に広がり、商品作物をつくる百姓が増えました。お金がからむことで、百姓は土地を集める地主と、土地を借りて耕す小作人に分かれていきます。

暮らしが苦しくなった人々は、農村では百姓一揆を、都市では打ちこわしを起こしました。そのころ老中になった田沼意次は、株仲間をたくさん認めるなど、商業の力で幕府の収入を増やそうとします。しかし天明のききんで一揆や打ちこわしが増えて批判が強まり、将軍家治が亡くなると、田沼は老中を辞めさせられました。

ものづくりのしくみは、この流れとは別の帯で押さえます。18世紀ごろから問屋制家内工業が見られるようになり、19世紀になると工場制手工業も始まりました。

田沼のあとに老中になったのが松平定信で、田沼とは反対の方針で寛政の改革を進めます。次の単元では、田沼の政治と比べながら確かめてみてください。

用語のまとめ

用語

種類

意味

貨幣経済

経済のしくみ

お金を仲立ちにして品物を売り買いする経済。18世紀に農村にも広がった

商品作物

作物

売ってお金にするためにつくる作物。綿・菜種・紅花・藍・茶・たばこなど

紅花

作物(商品作物)

染め物や口紅の原料。出羽(今の山形県)が産地

藍

作物(商品作物)

青い色に染める染め物の原料。阿波(今の徳島県)が産地

地主

百姓の立場

土地を買い集めて、人に貸した百姓

小作人

百姓の立場

土地を手放し、地主の土地を借りて耕した百姓

問屋制家内工業

生産のしくみ

問屋が原料や道具を貸し、農民が自分の家でつくって、問屋が買い取る。18世紀ごろから

工場制手工業

生産のしくみ

作業場(工場)に人を集め、分業の手作業でつくる。19世紀ごろから。マニュファクチュアともいう

百姓一揆

人々の動き(運動)

農村で百姓が団結し、領主に年貢を減らすことなどを求めた

からかさ連判状

文書

円のまわりに名前を書き、だれが中心かわからないようにした一揆の文書

打ちこわし

人々の動き(運動)

都市の貧しい人々が、米を買い占めた米商人などの家をこわした

田沼意次

人物

10代将軍家治のもとで老中になり、商業の力で幕府の収入を増やそうとした

老中

役職

将軍のもとで幕府の政治を担当する、いちばん上の役職

株仲間

組合(組織)

商人や職人の同業者の組合。田沼はたくさん認めて(奨励して)税を納めさせた

長崎貿易

貿易

田沼が盛んにした。銅や海産物を輸出し、金・銀を手に入れようとした

印旛沼

場所

今の千葉県の沼。田沼が干拓に取りかかったが、途中で中止になった

天明のききん

災害

天明のころ、冷害に浅間山の噴火も重なって起きたききん。東北地方を中心に多くの人が亡くなった

よくある間違い

問屋制家内工業と工場制手工業は、作業する場所で区別します。 農民の家でつくるのが問屋制家内工業、作業場に集まってつくるのが工場制手工業です。時期も問屋制家内工業が先で、工場制手工業は19世紀になってから始まりました。

工場制手工業は、手作業です。 「工場」という字が入っていても、使うのは手で動かす道具でした。答えのカギは、仕事を分担する分業です。

百姓一揆は農村、打ちこわしは都市で起きました。 一揆の相手は領主、打ちこわしの相手は米を買い占めた米商人など。だれが・どこで・だれに向けての3つを組にして答えます。

株仲間を認めることは、享保の改革のころから行われていました。 田沼の政治で問われるのは、株仲間を「たくさん認めて、税を納めさせた」ことです。

天明のききんの中心の原因は冷害です。 浅間山の大噴火は、そこに重なって被害を広げました。「冷害が続き、噴火も重なった」の順で説明できれば十分です。

印旛沼の干拓も蝦夷地の開発も、途中で中止になりました。 印旛沼は洪水と田沼が老中を辞めたことで、蝦夷地は調査の途中で取りやめになっています。

田沼の政策は「田沼の政治」とよびます。 享保の改革のように「改革」をつけたよび方はしません。

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このテーマの単語テストと問題集は、下のボタンからダウンロードできます。どちらも答えと解説がついています。

流れをざっと確かめたいときはアニメーション編を、地主と小作人が分かれた理由や田沼の政策の中身まで知りたいときは詳細解説編の動画を見てください。

重要語句 問屋制家内工業、工場制手工業、打ちこわし、田沼意次、天明のききん

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