中学社会・歴史・近世の日本・No.53

新しい学問と化政文化

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解説

江戸時代の後半になると、学問と町の文化に新しい動きが出てきます。日本の古典を研究する学問と、オランダ語を通して西洋の学問を学ぶ学問です。そして、寺子屋で読み書きを覚えた江戸の庶民が、新しい文化の担い手になっていきました。

新しい学問が出てきた背景 寛政異学の禁のあとで

前の回では、老中の松平定信が寛政異学の禁を出しました。これで禁じたのは、幕府の学校で朱子学以外の儒学を教えることです。

国学や蘭学を禁じたものではありません。実際、このあと国学と蘭学はさかんになっていきます。禁じられたのは幕府の学校の中のことで、学問そのものが広まるのを止めたわけではないのです。

1新しい学問 国学と本居宣長、蘭学と解体新書

国学は、古事記や万葉集のような日本の古典を研究して、仏教や儒学が伝わる前の、日本古来の考え方を明らかにしようとした学問です。外から入ってきた教えより前の日本の心を、古い書物の中に探そうとしたわけです。

この国学を大成したのが、伊勢の松坂、今の三重県松阪市の医者だった本居宣長です。宣長は、奈良時代のはじめにできた日本でいちばん古い歴史書である古事記を、30年以上かけてくわしく研究しました。そうしてまとめた本が古事記伝です。

国学は、宣長より前の学者たちが少しずつ育ててきた学問でした。宣長はそれを大きく完成させたので、「大成した」という言い方をします。国学はのちに天皇を尊ぶ考えと結びつき、幕末の尊王攘夷の動きにも影響をあたえました。尊王攘夷は、あとの単元でくわしく学びます。

もう一つの新しい学問が蘭学です。オランダ語の本を通して西洋の学問を学ぶことで、中身はオランダだけのものではなく、ヨーロッパの医学や天文学などでした。

外国との行き来を制限していたのに、なぜ西洋の学問が入ってきたのでしょうか。今の長崎県にある長崎の出島では、オランダとの貿易がずっと続いていました。オランダの船が運んでくる本を通して、西洋の知識が届いていたのです。さらに8代将軍の徳川吉宗が、キリスト教に関係のない西洋の本の輸入をゆるめ、幕府に仕える学者にオランダ語を学ばせました。出島と吉宗の政策が、蘭学の育つ土台になっています。

蘭学が本格的に広まるきっかけは、医者の杉田玄白や前野良沢たちによる翻訳でした。玄白たちは江戸で人の体の解剖を見学し、持っていたオランダ語の解剖書の図が、体の中とぴったり合っていることにおどろきます。次の日から、この本の翻訳に取りかかりました。本に書いてあることを自分の目で確かめたところに、新しい学問の姿勢が表れています。

満足な辞書もない中で、3年半かけて何度も書き直しながら訳し、1774年に出版したのが解体新書です。日本で最初の本格的な西洋医学の翻訳書で、これをきっかけに蘭学を学ぶ人が増えていきました。前の回に出てきた伊能忠敬も、西洋の天文学を学んで、正確な日本地図づくりにいかした人です。

2学びの広がり 寺子屋と藩校

庶民の子どもたちが、読み・書き・そろばんを習った所が寺子屋です。町や村の、読み書きのできる人が先生になって教えました。場所は先生の家が多く、6、7歳ぐらいから12、13歳ぐらいまでの男の子も女の子も通っています。

寺子屋は江戸時代の中ごろから各地にでき始め、化政文化のころから幕末にかけてさらに数を増やしました。

一方、武士の子どもは、それぞれの藩がつくった藩校で儒学などを学びました。学者が自分で開いた私塾という学びの場もあります。庶民は寺子屋、武士は藩校と、身分によって学ぶ場所が分かれていたわけです。

読み書きのできる人が増えると、本を読む人や、絵を買って楽しむ人も増えていきます。寺子屋の広がりは、このあとの化政文化を下から支える土台になりました。

3江戸の庶民が担った化政文化 浮世絵・文学・俳諧

19世紀の前半、11代将軍の徳川家斉のころに、江戸の町人や庶民を担い手として栄えた文化を化政文化といいます。江戸は今の東京都です。「化政」は、このころの年号の文化と文政を合わせた呼び名です。ただ、化政文化という言葉は、その前後もふくめた江戸時代後半の文化をまとめてよぶときにも使われます。

特徴は、こっけいで、世の中への皮肉もきいていて、楽しむための性格が強いことです。江戸で生まれた文化は、地方にも広がっていきました。

絵の分野では、浮世絵が色あざやかになります。元禄文化のころの浮世絵は、墨一色の版画が中心でした。このころには、たくさんの色を重ねて刷る版画が広まり、錦絵とよばれます。錦は色の美しい織物のことで、それくらいきれいな絵という意味です。版画なので同じ絵を何枚も刷ることができ、庶民でも気軽に買えました。

葛飾北斎の代表作は富嶽三十六景です。富士山を、いろいろな場所や天気、季節から描いた風景画のシリーズで、大波の向こうに小さく富士山が見える神奈川沖浪裏が特に有名です。北斎の絵は、のちにヨーロッパの画家たちにも影響をあたえました。

歌川広重の代表作は東海道五十三次です。東海道は江戸の日本橋から京都まで続く道で、その間に53の宿場がありました。広重は、実際に東海道を旅したときのスケッチをもとに、宿場ごとの風景と、そこを行き来する旅人を描いています。このころは伊勢参りなどの旅がはやっていたため、旅の気分を味わえる広重の絵は大ヒットしました。

文学では、十返舎一九の東海道中膝栗毛が人気を集めます。江戸の弥次郎兵衛と喜多八が東海道を旅しながら、失敗やいたずらをくり返すこっけいな物語です。こうした笑いをさそう本を滑稽本といい、膝栗毛は大人気で続きが次々に書かれました。

ほかにも、曲亭馬琴の南総里見八犬伝という長い物語が読まれ、化政文化の少し前からは喜多川歌麿の美人画も評判になっていました。世の中を皮肉る川柳や狂歌という短い詩がはやり、歌舞伎も庶民の楽しみでした。

俳諧では、小林一茶が活躍しました。一茶は信濃の柏原、今の長野県信濃町の農民の子として生まれ、江戸に出て俳諧を学んでいます。各地を旅したあとは、ふるさとに帰りました。ふだんの言葉も使い、暮らしの中の気持ちや、小さな生き物、弱いものによりそう句をたくさん残しています。「我と来て遊べや親のない雀」は、親のいない雀に、こっちへ来ていっしょに遊ぼうと呼びかけた句です。

ここで、No.49で学んだ元禄文化とくらべてみます。元禄文化の中心は、京都や大阪、つまり上方で、今の京都府・大阪府のあたりです。

元禄文化

化政文化

ころ

5代将軍 徳川綱吉のころ

11代将軍 徳川家斉のころ(19世紀前半)

中心の都市

上方(京都・大阪)

江戸

担い手

上方の町人

江戸の町人・庶民

特色

明るく現実的

こっけい・皮肉・娯楽の性格が強い

浮世絵

菱川師宣(墨一色の版画が中心)

葛飾北斎・歌川広重(色あざやかな錦絵)

俳諧

松尾芭蕉

小林一茶

元禄文化では、芭蕉が俳諧を芸術と言えるところまで高めました。化政文化では、寺子屋などで読み書きを身につけた江戸の庶民まで、文化を楽しむようになっています。中心の都市と担い手の違いは、記述問題でもよく問われます。

まとめ 新しい学問から、江戸の庶民の文化へ

一本の線でつなぐと、こうなります。寛政異学の禁のあとも、国学と蘭学という新しい学問はさかんになりました。本居宣長は古事記伝を書いて国学を大成し、前野良沢や杉田玄白たちは解体新書を出して蘭学を広めます。

その一方で、寺子屋で読み書きを学ぶ庶民が増え、本や浮世絵を楽しむ人が広がりました。こうして、江戸の庶民を担い手とする化政文化が栄えます。浮世絵の北斎と広重、文学の一九、俳諧の一茶を、作品名と組み合わせて書けるようにしてください。

年表

この単元には、テストで覚える年号がありません。時期の順番だけ押さえれば十分です。

時期

出来事

8代将軍 徳川吉宗のころ

キリスト教に関係のない西洋の本の輸入がゆるめられる

18世紀の後半

前野良沢・杉田玄白らが解体新書を出版する

18世紀の終わり

本居宣長が古事記伝を完成させる

19世紀の前半(11代将軍 徳川家斉のころ)

江戸の町人・庶民を担い手に化政文化が栄え、寺子屋がさらに増える

用語のまとめ

用語

種類

意味

国学

学問

日本の古典を研究して、仏教や儒学が伝わる前の日本古来の考え方を明らかにしようとした学問

本居宣長

人物

伊勢の松坂(今の三重県松阪市)の医者。古事記伝を書いて国学を大成した

古事記伝

書物

宣長が、奈良時代の歴史書である古事記を30年以上かけて研究した本

蘭学

学問

オランダ語の本を通して、ヨーロッパの医学や天文学などを学ぶ学問

杉田玄白

人物

前野良沢らとオランダ語の解剖書を翻訳し、解体新書を出した医者

前野良沢

人物

杉田玄白らとともに、解体新書の翻訳の中心になった医者

解体新書

書物

オランダ語の解剖書を翻訳した、日本で最初の本格的な西洋医学の本。蘭学が広まるきっかけになった

寺子屋

学びの場

庶民の子どもが、読み・書き・そろばんを習った所

藩校

学びの場

藩が武士の子どものためにつくった学校。儒学などを教えた

化政文化

文化

19世紀前半、江戸の町人や庶民を担い手に栄えた、こっけい・皮肉・娯楽の性格が強い文化

上方

地域

京都・大阪を中心とした地域(今の京都府・大阪府のあたり)。元禄文化の中心

浮世絵

絵

町の人々の暮らしや風景などを描いた絵。版画で多く刷られて広まった

錦絵

絵

たくさんの色を重ねて刷った、色あざやかな浮世絵の版画

葛飾北斎

人物

富士山の風景を描いた浮世絵師。代表作は富嶽三十六景

富嶽三十六景

作品

北斎が富士山をいろいろな場所や季節から描いた風景画のシリーズ

歌川広重

人物

東海道の宿場の風景を描いた浮世絵師。代表作は東海道五十三次

東海道五十三次

作品

広重が東海道の宿場ごとの風景と旅人を描いた風景画のシリーズ

十返舎一九

人物

こっけいな旅の物語、東海道中膝栗毛を書いた作家

東海道中膝栗毛

文学

弥次郎兵衛と喜多八が東海道を旅する、こっけいな物語

小林一茶

人物

信濃の柏原(今の長野県信濃町)の農民の子。暮らしや小さな生き物によりそう俳諧の句をつくった

俳諧

文学

五・七・五の句などをつくる文芸。今でいう俳句にあたる句をつくった

よくある間違い

解体新書は、前野良沢や杉田玄白らが訳した本です。 翻訳の中心は良沢と玄白で、ほかの仲間も協力しました。記述問題では「前野良沢や杉田玄白らが翻訳した」と書くと正確です。

古事記と古事記伝は別の本です。 古事記は奈良時代のはじめにできた歴史書で、古事記伝はそれを研究した本居宣長の本です。宣長と結びつくのは古事記伝のほうです。

本居宣長は、国学を「大成」した人です。 宣長より前の学者たちが育ててきた学問を、宣長が大きく完成させました。

化政文化の中心は江戸です。 元禄文化の中心だった上方とは、場所も担い手も違います。どちらの文化かを問う問題は、ここがひっかけになります。

北斎は富嶽三十六景、広重は東海道五十三次です。 2人の作品を入れかえた選択肢がよく出ます。富士山なら北斎、東海道の宿場なら広重と、描いたものとセットで覚えると迷いません。

寛政異学の禁で禁じられたのは、幕府の学校での朱子学以外の儒学です。 国学や蘭学は、このあともさかんになりました。

寺子屋は庶民の子ども、藩校は武士の子どもの学びの場です。 寺子屋で習ったのは読み・書き・そろばんでした。

一茶がつくったのは、俳諧の句です。 今でいう俳句にあたるもので、元禄文化の松尾芭蕉と同じ俳諧の分野です。芭蕉は元禄、一茶は化政と、時代を取り違えないようにしてください。

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このテーマの単語テストと問題集は、下のボタンからダウンロードできます。どちらも答えと解説がついています。

人物と作品の組み合わせをざっと確かめたいときはアニメーション編を、新しい学問が広まった理由や、江戸の庶民が文化の担い手になれた理由まで知りたいときは詳細解説編の動画を見てください。

重要語句 本居宣長、杉田玄白、解体新書、葛飾北斎、歌川広重

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